嘉門タツオさんと妻のこづえさん(写真=本人提供)
嘉門タツオさんと妻のこづえさん(写真=本人提供)

たった今、息を引き取ったばかりの妻に、夫は大きな拍手を送った。「あっぱれや」。今年9月に、妻の鳥飼こづえさんを亡くした嘉門タツオさん(63)。交際前に悪性脳腫瘍をわずらい、自分の命が長くないことを悟っていたかもしれない妻と過ごした14年間には、夫婦だけの物語が詰まっていた。

【写真】少年時代の嘉門タツオさん

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 2007年。食事仲間の先輩が宴席に連れてきたのが、こづえさんだった。その場は神妙なお見合いのような感じでもなく、かといって、どちらかがひとめぼれして猛アタックしたというわけでもない。初対面では、お互いにそんなに意識はしなかった。
 
 結婚願望なしの49歳中年男。一方、こづえさんは医師という仕事ひと筋で、友人から「プラチナのよう」と形容されるほどのお堅い性格。年も6歳下だった。そんな2人をみこしに担ぎ上げたのは、嘉門さんの仲間たちだ。
 
 こづえさんも連れられてやってきた、とあるイベントの打ち上げ。

「後から聞いたんですが、一緒に飲んでいた北野誠や桂雀々たちが、僕がトイレに行ったときなんかに『タツオを頼むわ』って彼女に言ってたそうなんですよ」
 
 はしご酒したあと、こづえさんと一緒にタクシー乗り場まで行ったのに、彼女を一人で車に乗せて見送ろうとした嘉門さん。

「送っていけやー!」
 
 鈍すぎる独身男の背中を押して、車に押し込んだのは北野誠さんだった。

「周りが、これが僕のラストチャンスやろうって勝手に思って雰囲気づくりをしてくれたんですよ。僕が自分から頑張らなくてもいい状況を作ってくれて。せっかくやから、乗っかろうと思ったんです」

 眼科とアンチエイジングの分野で活躍していた「プラチナ」のエリート医師は、なぜか嘉門さんのことを面白がり、惹かれた。歌い手風情がと不信感を持たれたか、こづえさんの母親は交際に猛反対。だが、意外にお似合いな2人に心変わりしたのか、何度か会ううちに「式はちゃんと挙げなさい」と言うようになった。交際から半年後にゴールインして、東京と大阪で2度、結婚披露宴を行った。

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國府田英之

國府田英之

1976年生まれ。全国紙の記者を経て2010年からフリーランスに。週刊誌記者やポータルサイトのニュースデスクなどを転々とする。家族の介護で離職し、しばらく無職で過ごしたのち20年秋からAERAdot.記者に。テーマは「社会」。どんなできごとも社会です。

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徐々に動かなくなっていった右半身