「わたし、2002年に悪性脳腫瘍の手術をしたけど、もう大丈夫だから」
 
 こづえさんが、がん患者であることを打ち明けたのは付き合い始めて間もないころ。
 
 いつ再発するかわからない悪性腫瘍。3カ月に1度、病院でMRI検査を受け状態を確認していた。それでも、「彼女は、自分の命に対する不安を表に出したことはなかったんですよ。本人が大丈夫って言うんやから、大丈夫なんやろうと僕も思っていました」

 だが、病気の影響で、徐々に右半身の自由が効かなくなっていた。結婚して1年ほどたつと、歩くときにステッキが必要になった。利き手である右手でカルテを書くことが難しくなり、こづえさんは医師の仕事を断念した。

 それ以降、こづえさんは嘉門さんの仕事場へも連れ立って来るようになった。嘉門さんの曲作りにもかかわり、積極的に自分の考えを伝えるようになった。
 
 カラオケは大好きだったが音楽には門外漢のこづえさん。そんな妻が仕事に口を出してきたら怒ってしまう夫もいそうだが、あっさりと仕事のパートナーとしても息が合ってしまうのが、このカップルの不思議なところ。

「メロディーが違うとか、歌詞のこの部分、もうちょっと違う言い回しがいいよ、だとか、的を射ていることを言うてくれるんですよ。仲よくさせていただいている宇崎竜童さんと妻の阿木燿子さんは夫婦で曲を作っていて、もし結婚することがあれば、そんな夫婦がいいなって憧れていたんです。まあでも自分にそんな話があるわけないわなって思っていましたけど、あったやん!って」
 
 趣味でも息が合っていた。2人の共通軸は「食」と「ワイン」。夕刊紙で食に関する連載を持ったことがあるほどの食通の嘉門さんと、ワインやシャンパンと、食べることが大好きなこづえさんは、住まいのある都内でも地方の仕事先でも、いつも一緒に外食に出かけた。

 予約の取れない人気店にくじけずに電話をかけ続けて美食を求めたり、今日の店はここが良かった、ここがいまいちだったなど、グルメ談義を交わした。夫婦でほれ込んだ焼き鳥屋には200回以上は通った。

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こづえさんとの最後の「21日間」