大人にも子どもにも「自己決定権」はある。個人の自由が制限されるのは、社会全体の利益が守られないときだ
大人にも子どもにも「自己決定権」はある。個人の自由が制限されるのは、社会全体の利益が守られないときだ

 例えば、自分が好きな洋服を着ていたら「男の子(女の子)みたいだから」と親に反対されたという場合。

 多数決のところでも少し触れているけれど、本来、いつ、どこで、どんな服を着るのかは、本人の自由。「自己決定権」に含まれている。「表現の自由」としても、保証されていると言っていいだろう。家族や友だちの意見にかかわらず、好きな服を着ていいし、反対される場合にはその服を着たい理由を説明し、納得してもらうことも大切だ。

 ただ、制服など、その場のルールがある場合は別。もちろん、ルール自体の理由や必要性に疑問が生じる場合もあるが、「自由」は、その前提である「他の人に迷惑をかけないこと」が守られない場合、制限を受けることもある。

 仲間と集まって公園でキャッチボールをしていたら、近所の人に「危ないからやめるように」と言われたという場合。友だちと公園で遊ぶ自由は、みんなに認められている権利。でも「危ない」と感じた人がいるということは、公園に来ているほかの人の権利を奪っているかもしれない。小さい子どもたちにボールがぶつかる危険はないか。ベンチでゆっくり本を読みたい人の邪魔になっていないか。見回してみよう。個人の自由は、社会全体の利益を守るために制限を受けることがあるのだ。

 ここで、「大人の言うことはいつも正しいの?」という質問に戻ろう。

 日本では18歳以上が成人(成年)。18歳未満の人は「未成年」といって、「親権」を持つ保護者のもとで守られるべき存在とされている。判断能力や社会経験が十分に備わっていないとされているからだ。「親権」は、未成年である子どもの成長を、保護者が支える義務であり権利。子どもの教育や財産管理などを行うことは、法的に認められている。とはいえ、子どもの意見を無視して親の好みや思いを一方的に押し付けることは、子どもの「自己決定権」を認めないことになる。なお、親の言動が行き過ぎて、子どもの心や体を傷つけるようなことがあれば、「児童虐待」とみなされることもある。

(構成 生活・文化編集部 上原千穂)