全試合リリーフで登板し、規定投球回数未満ながら、前代未聞のリーグ最多勝に輝いたのが、ヤクルト・伊東昭光だ。

 入団2年目の87年にオール先発で14勝を挙げた伊東は翌88年、抑えの高野光の故障により、開幕から期間限定の条件で抑えに回った。

 ところが、今度は荒木大輔の故障離脱などで先発が駒不足に陥り、復帰後の高野も先発に回るというチーム事情から、そのまま全55試合にリリーフ登板。時には5回以上のロングリリーフもこなした。

 この年から神宮球場のマウンドが13センチ低くなったことも、低めにボールを集める伊東の投球スタイルに追い風となる。前半戦だけで7勝8セーブを挙げ、オールスターに初出場。8月にはチームの14勝中6勝を挙げ、最多勝も射程圏に入った。

 初めは「セーブが欲しい」と言っていた伊東も「獲れるもんなら獲りたい」とプロ初タイトルに意欲を燃やし、関根潤三監督も「できるだけ投げさせる」と協力を約束した。

 残り5試合となった10月18日の広島戦で17勝目を挙げた伊東は、全日程を終了したライバルの中日・小野和幸に1差と迫る。

 さらに翌19日の広島戦でも、1点リードの9回に登板したが、1死から3連打で1点を失い、先発・内藤尚行の白星と自身の18セーブ目を消してしまった。

 だが、このリリーフ失敗が、結果的に幸運の呼び水となる。

 延長10回以降を無失点に抑えた伊東は、引き分け寸前の12回、池山隆寛のサヨナラ2ランで、ついに小野と並ぶ18勝目を手にした。

 単独トップの19勝目を狙った10月20日の大洋戦では、四球とサード・長嶋一茂のエラーから崩れ、負け投手になったが、18勝9敗17セーブは、現役13年間で最高の成績となった。

 リリーフでは前出の宮田と並ぶ19勝を挙げ、投手二冠を達成したのが、85年の近鉄・石本貴昭だ。

 滝川高からドラフト1位で入団した左腕は、1年目に11試合に登板し、1勝1敗の成績を残したが、2年目以降は2軍暮らしがほとんどで、前年は1軍登板わずか1試合。5年目の85年も、シーズン前は「ワンポイントぐらいなら使い道も」程度の評価だった。

 ところが、開幕後、エース・鈴木啓示がシーズン途中に引退するなど、先発陣が投壊現象を起こしたことが、運命を大きく変える。

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リリーフ投手とは思えぬ成績で“二冠”に