新人時代からクローザーを務めた中日時代の与田剛(OP写真通信社)
新人時代からクローザーを務めた中日時代の与田剛(OP写真通信社)

 今年のルーキーで最も驚きの活躍を見せている選手と言えばやはり大勢(巨人)になるだろう。隅田知一郎(西武)の外れ1位ながら、開幕からクローザーに定着すると、ここまで両リーグ最多となる21セーブをマーク。不調のビエイラと故障の中川皓太の穴を見事に埋めており、新人王の最有力候補となっている。昨年も栗林良吏(広島)が大活躍を見せたが、これまでルーキーで抑えを務めた投手はその後どのような成績を残したのか、改めて振り返ってみたいと思う。

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 最優秀救援投手のタイトルが制定されたのはセ・リーグは1976年、パ・リーグは1977年からだが(現在は最多セーブ)、ルーキーで初めてこのタイトルを獲得したのは1990年の与田剛(中日)だ。当時では珍しかった150キロ以上のストレートを武器に31セーブをマークして新人王のタイトルを獲得。オールスターのファン投票でも1位となり、第2戦で先発登板もしている。しかし翌年は故障もあって低迷。3年目に23セーブと復活したものの、満足に活躍できたのは1年目とこの年だけで通算成績は59セーブに終わっている。1年目の大活躍による反動が大きかった典型例と言えるだろう。

 与田以来となるルーキーで最優秀救援投手のタイトルを獲得したのが2004年の三瀬幸司(ダイエー)だ。大学卒業後はクラブチームでプレーし、入団テストを受けてドラフト7位で入団。下位指名かつこの時点で28歳となるオールドルーキーということで注目度は決して高くなかったが、抑え不在のチーム事情にマッチして開幕からフル回転の活躍を見せると、最終的には55試合の登板で4勝、28セーブと見事な成績を残した。翌年も開幕当初は好調で54試合に登板したものの、防御率4点台後半と成績を落としてシーズン途中で抑えの座を馬原孝浩に譲り、3年目以降は完全に中継ぎに転向。サウスポーからの独特なボールの角度もあって重宝され、38歳となる2014年まで現役を続けたが、抑えとして輝いた期間はやはり長くはなかった。

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西尾典文

西尾典文

西尾典文/1979年生まれ。愛知県出身。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究し、在学中から専門誌に寄稿を開始。修了後も主に高校野球、大学野球、社会人野球を中心に年間400試合以上を現場で取材し、AERA dot.、デイリー新潮、FRIDAYデジタル、スポーツナビ、BASEBALL KING、THE DIGEST、REAL SPORTSなどに記事を寄稿中。2017年からはスカイAのドラフト中継でも解説を務めている。ドラフト情報を発信する「プロアマ野球研究所(PABBlab)」でも毎日記事を配信中。

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近年ルーキーから抑えで活躍したのは?