1980年は平均年俸こそMLBが約3倍と差が開いているが、最高年俸選手は王貞治とノーラン・ライアンにあまり差はなく、そこまで日米で年俸格差はないように見える。ここでは10年ごとの数字をサンプルにして比べているためデータとして出してはいないが、1987年のNPB最高年俸選手は“バリバリのメジャーリーガー”として鳴り物入りで来日し、93試合で31本塁打を放ったボブ・ホーナー(ヤクルト)の3億円。そしてMLBはジム・ライス(レッドソックス)の241万2500ドル(約3億1000万円)と、現在のレートで計算するとほぼ同等だ。日本はバブル経済の真っ只中とはいえ、当時は世界最高峰の選手を呼ぶだけの資金力があったといえるだろう。

 だが、それ以降を見ると1990年はヨーントが落合の約2.5倍、2000年はブラウンがイチローの約4倍、そして2010年はロドリゲスがイ・スンヨプの約7倍、2020年もトラウトがサファテの約7倍と開いていき、平均年俸も1990年はMLBが約5倍、2000年が約8倍、2010年が約10倍、2020年が12倍とみるみるうちに差が広がっているのが見て取れる。

 先述した鈴木の給料を例にとってもいかに年俸が上がっているかが分かる。今から約20年前のMLBの大型契約を振り返ると、メジャー屈指のスター選手バーニー・ウィリアムス(ヤンキース)が1999年に結んだ契約が7年総額8750万ドル(約111億9000万円)。1年平均で換算すると約16億円で、約21億7000万円の鈴木の方が6億円近くも上回っているのだ。だが鈴木の平均年俸は現在のメジャーリーグ全体で見ると70番目付近と決して上位には含まれない。一方、イチローの2000年の年俸5億3000万円は今年のNPBの年俸ランキングに入れても6位と上位に位置している。

 NPB選手の年俸が伸びないことについては様々な要因が絡むが、決してプロ野球界だけの問題ではない。

 日本の名目GDP(国内総生産)に目を向けると、2000年からずっと横ばいの状態が続いている一方、米国は2000年と今年の推計を比べると約2.5倍となっている。今シーズンMLBで最も年俸の高いマックス・シャーザー(メッツ)の4333万3333ドル(約55億4000万円)と、2000年のブラウンの1571万4286ドル(約20億1000万円)を比べても約2.8倍となっており、国内の経済状況とスポーツ選手の給与が多少なりとも連動するのは否定できないだろう。

次のページ
日米の“格差”は今後も広がり続ける?