メジャーで復活を果たした横浜時代の斎藤隆
メジャーで復活を果たした横浜時代の斎藤隆

 今季はエンゼルスの“二刀流”大谷翔平が投打でその能力を遺憾なく発揮し、日米の野球ファンの間で大きな話題となった。その一方、パイレーツ移籍後は輝きを取り戻したものの、筒香嘉智がシーズン途中に当時所属していたレイズから解雇されるなど、改めてメジャーの厳しさを感じた人も多いだろう。

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 筒香と同じ2019年オフにアメリカに渡った秋山翔吾(レッズ)も定位置を奪うことなく3年契約の2年目が終了し、右腕の山口俊(ブルージェイズなど)は結果を残すことができず、6月に古巣巨人へ復帰となった。

 このように日本の一流選手であってもメジャーで成績が落ちてしまうことがほとんどだが、むしろ渡米後に成績を上げた選手も数は少ないが存在する。

 まず、一番最初に思い浮かぶのが斎藤隆だ。日本では大洋、横浜で先発、そして抑え投手としてチームを長年支え続けたが、メジャー移籍前の数年は成績が低迷。渡米前年の2005年には21試合の登板で防御率3.82と安定感を欠き、メジャー挑戦時には年齢が36歳ということからも、強打者ぞろいのメジャーで活躍するのは難しいとの見方が多かった。

 ところが、マイナー契約で入団したドジャースで見事に復活を果たす。1年目の4月にクローザーを務めていたエリック・ガニエの故障で早くもメジャー昇格を果たすと、そこから好投を続け、翌月に抑えとしての役割を奪取。最終的に日本時代の最多登板50試合を大きく上回る72試合に登板し、6勝2敗、7ホールド、24セーブ、防御率2.07の好成績をマークした。また、78回1/3を投げ107個の三振を奪うなど、日本の全盛期以上とも言える圧巻の投球を見せ、ナ・リーグのサイ・ヤング賞投票ではブレーブスの伝説的右腕ジョン・スモルツに次ぐ8位となった。

 翌2007年は開幕からクローザーを任され、前年以上の安定感を披露。63試合に登板して2勝1敗、ナ・リーグ4位となる39セーブ、防御率1.40と抜群のパフォーマンスでオールスターにも選出された。球速も大台まであと一歩に迫る99マイル(約159キロ)を記録し、自己最速をマークしている。

 その後も、レッドソックスやブレーブスなどでプレーし、メジャーでは通算7年間で21勝15敗、84セーブ、400奪三振、防御率2.34と一流クラスの数字を記録。年齢的には全盛期を過ぎていると見られていたが、そこからこの成績を残したのは見事というほかない。

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