“ジョニー”の愛称で知られるロッテ・黒木知宏の向こうを張って、“マイケル”の呼称でアピールしたのが、95年の日本ハム4位・黒木純司だ。

 同姓で年齢も1歳違いの2人は、実は延岡学園時代の91年にバッテリーを組み、夏の甲子園に出場した間柄。当時捕手だった黒木純は、新チームから投手になり、三菱自動車水島時代には都市対抗に出場するなど活躍。黒木知に続いてプロ入りの夢を実現した。

 そして、12月20日の入団発表の席で、黒木純は「1年先輩のロッテの黒木さんは、ジョニーと呼ばれているので、僕はマイケルあたりどうでしょう」と提案し、会場を和ませた。

 さらに「(プロでの)目標は、イチローをケチョンケチョンに抑えて、イチローのファンを自分のファンにしたい」と球界きっての天才打者に挑戦状を叩きつけた。

 結局、マイケルの愛称は定着せず、“イチローキラー”として名を売ることもなかったが、99年に50試合に登板するなど、先発、中継ぎ、抑えとしてロッテ移籍後を含む8年間で通算14勝12敗22セーブの成績を残した。

 新人選手といえば、背番号について感想を求められるのも、ほぼお約束。

 自分の背番号を好きなパチンコにたとえ、ユーモラスに抱負を語ったのが、95年の西武2位・大友進だ。

 37番を貰った大友は12月22日の入団発表の席で、「3と7はラッキーナンバーだから、フィーバーしたい」と宣言。「まずはレギュラーより笑いを取りたい」とおちゃらけたが、翌96年はシーズン後半からレギュラーとなり、97、98年には松井稼頭央との1、2番コンビでリーグ2連覇に貢献するなど、走攻守3拍子揃った外野手としてブレイクした。

 一方、背番号の印象を聞かれた直後、思わぬ珍発言を口にしたのが、2010年のソフトバンク2位・柳田悠岐だ。

 12月8日、1位・山下斐紹ら4人の高校生とともに入団発表に臨んだ柳田は、「(唯一の大学生)年上なので、最初に1軍のグラウンドに立ちたい。打率3割、30本塁打、30盗塁が目標です」と後のトリプルスリー男を予感させる大目標を掲げた。

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背番号44について聞かれ“謎の珍回答”