レコ大は行われたものの、賞レースが減ってもそんなに困らないことが露呈。音楽ファンにすら広がり始めた「なくてもいいよね」という空気感を、老舗にして最強であるレコ大は吹き飛ばす必要があったのだ。

 しかし、89年の大混乱はその空気感をますます濃くしてしまった。その後、他の賞イベントは次々と終了、もしくはコンサート形式などに姿を変えていく。そんななか、レコ大も衰退してしまうわけだがーー。

 なんだかんだいって、今も続いていることはむしろすごいことかもしれない。特定の事務所やレコード会社による影響力などが批判されながらも、その年を象徴するヒット曲が選ばれることも多いし、歴代の受賞者などを見ればそれなりに音楽シーンの移り変わりも確認できる。資料として文化として、貴重なものではあるのだ。

 それに何より、受賞者が昔ほどではなくても感激している姿には心を動かされる。そんなレコ大まで「なくてもいいよね」とは思わないし、こういう筆者のような視聴者がいるからこそ、60年以上も続いているのだろう。

 今年も楽しみだし、数字的にも注目度的にも、もうちょっと盛り返せるよう願ってやまない。

 ●宝泉薫(ほうせん・かおる)/1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』『宝島30』『テレビブロス』などに執筆する。著書に『平成の死 追悼は生きる糧』『平成「一発屋」見聞録』『文春ムック あのアイドルがなぜヌードに』など 

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宝泉薫

宝泉薫

1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』『宝島30』『テレビブロス』などに執筆する。著書に『平成の死 追悼は生きる糧』『平成「一発屋」見聞録』『文春ムック あのアイドルがなぜヌードに』など

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