<寺崎氏は、米国が沖縄およびその他の琉球諸島の軍事占領を継続するよう天皇が希望している、と言明した。天皇の意見では、そのような占領は米国の利益になり、また日本を守ることにもなる。〔この後、米軍の沖縄占領期間は「二五年ないし五〇年ないしそれ以上」と言及される〕。>(「琉球諸島の将来に関する日本の天皇の見解」を主題とする在東京・合衆国対日政治顧問から一九七四年九月二二日付通信第一二九三号への同封文書)

 その約半年後、日本再軍備を求める米国政府高官に対して、憲法九条を支持するマッカー
サーが答えた言葉。

<沖縄に十分な空軍力を常駐させておけば、日本を外部勢力から守ることができる。〔中略〕沖縄を適切に開発し、沖縄に軍隊を駐屯させることで、われわれは日本本土には軍隊を維持する必要なしに、外部侵略に対して日本の安全を確保することができる。>(明田川融『沖縄基地問題の歴史』みすず書房、111頁)

 これは沖縄から見れば、自分たちを「本土防衛」の「捨て石」とした沖縄戦の地政学が戦後も続くことを意味しただろう。「平和憲法」は、事実上、米軍による沖縄の軍事基地化を担保としてスタートし、旧安保条約の締結(1951年)、現安保条約の締結(1960年)、そして沖縄返還(1972年)を経て今日まで、沖縄の犠牲のもとに存続してきたのである。「本土」の沖縄に対する「構造的差別」、筆者の言葉で言えば、沖縄をスケープゴートとする「犠牲のシステム」としての日米安保体制と、「平和憲法」だけが無縁であったわけではない。

 そして今、沖縄県民の反対を一顧だにせず、辺野古の新基地建設が強行されている。加えて、「南西シフト」と称して、2016年以降、奄美大島、沖縄本島、宮古島、石垣島、与那国島に自衛隊が続々と進出し、琉球諸島全体が軍事要塞化されつつある。日本政府は表立っては認めていないが、こうした動きが「中国の脅威」への対抗であることは隠しようがない。石垣島、宮古島、奄美大島には地対空、地対艦ミサイル基地が建設され、中国相手の「ミサイル戦争」の最前線に置かれようとしているのだ。

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なぜこの問題について「本土」では大きな議論にならないのか