依然として7割以上の米軍基地が集中する沖縄。国土面積0.6%、人口1%の島に過剰な基地負担を強いる“差別政策”を批判し、「本土」への基地引き取りを提唱する哲学者・高橋哲哉氏の新著『日米安保と沖縄基地論争』(朝日新聞出版)では、沖縄の基地の「県外移設」をめぐって起きた、貴重な論争を読むことができる。

 沖縄の過剰負担を黙認し、日米安保を支持する「本土」の責任とは――。高橋氏が寄稿した。

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 戦後日本を「平和国家」と称することにリアリティを感じられなくなるとともに、日米安保体制を「日米同盟」と呼ぶのが当たり前になって久しい。

 なるほど憲法九条は、一字一句変わっていない。日本を「平和国家」たらしめようとしてそれを「護」ってきた人びとの努力は、忘れられるべきでない。

 だが、戦後「護憲」の現実は、初めから致命的な限界を抱えていたのも事実だ。帝国憲法期の天皇制に替わり日米安保体制――今日の「日米同盟」――が、憲法をも超越する「国体」として君臨してきたからである。憲法の「平和主義」は、国土を基地として提供して米軍の戦争を支え、その「核の傘」に守られることを利益とする体制を、今日まで変えることなく存続させてきた。

 近年の世論調査は、圧倒的多数の国民が、「日米同盟」は日本の「平和と安全に役立ってきた」と考えているらしいことを示している。「戦後70年全国世論調査」(2015年、共同通信社)では、「日米同盟」について「強化すべき」が20%、「今のまま」が66%、合わせて86%が支持しており、「解消すべき」はわずか2%だった。「憲法」については「このまま存続」が60%、「変える」が32%だったので、単純に考えれば、「護憲」派の大半は「日米同盟」支持ということになる。

 この戦後日本の「平和と安全」のもとで、つねに犠牲とされてきたのが沖縄である。これも初めからそうだった。日本国憲法施行後、二人の決定的な人物が発した言葉を何度でも想起する必要がある。まずは、昭和天皇の顧問、寺崎英成がシーボルトを介してマッカーサー元帥に伝えた「天皇メッセージ」(一九四七年九月)。

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「天皇メッセージ」の内容とは…