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松坂世代で最初に甲子園で活躍も…「スーパー1年生」と呼ばれた球児たちの“その後”

久保田龍雄dot.
熊本工の沢村幸明 (c)朝日新聞社

熊本工の沢村幸明 (c)朝日新聞社

 夏の甲子園でデビューを飾ったスーパー1年生といえば、荒木大輔(早稲田実)、桑田真澄&清原和博(PL学園)、松井秀喜(星稜)、中田翔(大阪桐蔭)、村上宗隆(九州学院)ら後にプロでもスターになった選手は、枚挙にいとまがないほどだ。

 その一方で、甲子園で活躍したにもかかわらず、最終的にプロに行かなかったスーパー1年生も少なくない。

 1977年に東邦の1年生エースとして“バンビ”の愛称で人気者になった坂本佳一 もその一人だ。

 中学時代は意外にも一塁や外野の守備固めが主の控え選手で、投手経験も「中3のときに1回か2回投げた程度」だったという坂本は、東邦にも一般受験で入学した。

 だが、入学式当日に職員室を訪れ、阪口慶三監督に「野球部に入れてください」と直訴した熱意が、“その他大勢”の中に埋もれるはずだった運命を変えた。

 特待入学の部員にまじって練習することを許された坂本は、阪口監督に投手としての素質を見いだされ、ここから野球人生が大きく開けていく。

 愛知県予選7試合中6試合に登板し、1年目で甲子園出場の夢を実現。甲子園でも全試合を一人で投げ抜いて準優勝投手になり、“バンビ旋風”を巻き起こした。

 しかし、その後は肩を痛めるなどして、再び甲子園に出場することはなかった。法大でも4年間リーグ戦登板なし。社会人2年目に現役を引退し、地元・名古屋で会社員になったが、「長い人生の中でたった2週間の出来事だった」甲子園での経験が、セカンドキャリアで大きな財産になっているという。

 試合で攻守にわたって先輩に助けてもらったり、スタンドの声援が大きな励みになるなどの実体験を通じて、周りの人々の支えの大切さを学ぶことができたからだ。

「あの2週間で自分の歩む道が決まったという感じがします」と、かつてのスーパー1年生は甲子園に感謝している。

 96年の決勝、松山商戦の9回2死、「あと1人」の場面で打席に立ち、左越えに起死回生の同点ソロを放ったのが、熊本工の沢村幸明だ。


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