巨人三軍からMLB屈指の救援投手へ…澤村拓一が1年前の屈辱から描く“成功物語” (1/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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巨人三軍からMLB屈指の救援投手へ…澤村拓一が1年前の屈辱から描く“成功物語”

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レッドソックスの澤村拓一(写真/gettyimages)

レッドソックスの澤村拓一(写真/gettyimages)

 澤村拓一(レッドソックス)が、アメリカンドリームをつかもうとしている。

 紆余曲折を経てたどり着いた米国の名門球団。1年前には考えられなかった勇姿からは、充実感が溢れている。

「レッドソックス…澤村選手 吠えてたね? よく粘った!! おつかれさん ニュース出るかなぁ あっ、ダメだ…. 大谷選手、ダルビッシュ選手が出てるから…」(上原浩治ツイッター)

「春先かなり寒いボストン、レベルの高いア東地区、ルーキー、タフなリリーバーであれだけ投げてるのに日本のメディアは一体何をしているんだろう」(ダルビッシュ有ツイッター)

 5月30日、上原の呟きに対してダルビッシュ(パドレス)がSNS上で呼応した。レッドソックスで世界一になった先輩、そして現在メジャー屈指と言われる右腕が揃って澤村の投球を称えた。2人が苦言を呈しているように日本のメディアでの扱いは小さいが、米国での評価は日に日に高まっている。

「レッドソックス好調の要因の1つはブルペンの充実。その中で欠かせない1人になった。当初は米国の野球に適応するため試行錯誤していたが、ようやく自分らしい形が定まった。自分の中である程度、四球を許容するようになった。日本時代は制球力の悪さが指摘され神経質になっていたが、それがない。もともとフォークボール(=スプリット)には定評があったから、ハマれば良いとは思っていたが予想以上。身体も強そうなのでブルペンで重宝されるタイプ」(スポーツ新聞MLB担当記者)

 澤村の日本でのキャリアは山あり谷ありだった。10年のドラフト1位で巨人に入団し、1年目から11勝を挙げて新人王を獲得。3年目には先発とブルペンの両方で活躍し、クローザーを任された16年にはリーグ最多の37セーブをマークするなど、チームに欠かせない選手となった。だが、17年のキャンプで右肩を故障すると、同年はキャリアで初めて一軍の登板ゼロに。その後、19年にはチームのリーグ優勝に貢献する投球を見せるも、不安定なピッチングも目立ち、昨季は屈辱的な三軍降格を経験。結果的にシーズン途中にロッテにトレード移籍となった。


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