<子供というのは 純粋無垢で 弱く すぐ嘘をつき 残酷なことを平気でする>(悲鳴嶼行冥/16巻・第135話「悲鳴嶼行冥」)

 しかも、この事件のために、悲鳴嶼は世間から「孤児殺し」の汚名を着せられ、投獄される。そんな悲鳴嶼の窮地を救ったのが、まだ14歳という若さだった、鬼殺隊の長・産屋敷耀哉(うぶやしき・かがや)だった。
<君が人を守る為に戦ったのだと 私は知っているよ>(産屋敷耀哉/16巻・第139話「落ちる」)

 この耀哉の言葉は、悲鳴嶼が真に欲した言葉だった。だからこそ、悲鳴嶼の耀哉への感謝の念は深く、また耀哉からの悲鳴嶼に対する信頼も厚い。

■最年長・最強の男としての苦悩と優しさ

 作中で印象的なのは、頻繁に涙を流しながら、念仏を唱える悲鳴嶼の姿だろう。これは、ただ「悲しい」から泣いているのではない。「仏」に救いを求めているわけでもない。「最年長で最強の柱・悲鳴嶼行冥」として、多くの本音を飲み込みながら自らの内奥と向き合い、矛盾や不条理を浄化させようとする姿にほかならない。他の柱や隊士たちの「死」に耐えたことも、弟の死に泣く不死川実弥(しなずがわ・さねみ)を次の戦いへと急かしたことも、すべては「鬼のいない平和な世」を作るため。

<我ら鬼殺隊は百世不磨 鬼をこの世から 屠り去るまで…>(悲鳴嶼行冥/19巻・第168話「百世不磨」)

 黒死牟が悲鳴嶼に対し、この決戦で悲鳴嶼の命が尽きることを予告し、「これ程までに…研鑽し極められた肉体と技が…この世から消えるのだ…嘆かわしいと思わぬか…」と告げるが、悲鳴嶼は毅然と答える。

<何を今更 己が命など惜しもうか そのような生半の覚悟で柱になる者などおらぬ 甚しき侮辱>(悲鳴嶼行冥/20巻・第170話「不動の柱」)

 この世に起こる、理不尽な不幸から人々を救うため、悲鳴嶼は「不動の柱」にふさわしい、強い自分であり続けたのだ。

■悲鳴嶼の「本心」

 悲鳴嶼は自ら「私は本当に疑り深くなった」と言ったが、それでもやはり「子ども」には優しかった。禰豆子の存在を許し、炭治郎を認め、「鬼喰い」の禁忌を犯した玄弥を弟子として愛した。悲鳴嶼の本質は、寺で子どもを育てていた時のままだ。

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最期に思い出すのは「幼い家族」たち