29日のエドゥアルド・フォラヤン戦を控える青木真也
29日のエドゥアルド・フォラヤン戦を控える青木真也

 青木真也とは何か?

「『ファイター』だし、『青木』っていう名前でご飯食べてます、みたいな感じです」

 ツイッターやnoteのプロフィールにも「格闘技選手」と記されている。では青木のいう「格闘技選手」とは何か?

「みんな自分たちの出したい思想・信念というか、哲学みたいなものがないじゃないですか。格闘技を通じて何か出したい、何か作り出したいっていうのがないから、それがないと俺は格闘家とかレスラーじゃないと思ってます。みんなただ試合してるだけですよ。『ちょっと運動が人より得意で、格闘技が得意な人』なんじゃないですか」

 そうしたあり方は自身が憧れた存在に強い影響を受けている。

「一番憧れたのはケンドー・カシンで、僕はIGFでやらせてもらって『揉めごとはリングの上に出しちゃえばいい』みたいなところがあるから、隠しごとがないんです。『恥ずかしいものなんかない』『全部さらけ出してこそ格闘技選手』みたいな哲学というか信念があるので」

 ただ戦いを見せるだけでなく、発するメッセージがなければ格闘技選手でないと青木はいう。だから異論反論に構うことなく思うこと、言いたいことをいう。

「僕は僕が思ったこと、考えをちゃんと持って貫いていきたいっていう思いが強いんです。自分の思いとか思想・信念を貫きたくて格闘技をやってるのに、それをブレさせていいんだったらこれをやってる意味がない」

 そうでないとアッという間に消費されてしまうともいう。自分をさらけ出していくのは青木のあり方であり、同時に生き残っていくための戦い方でもある。

「YouTubeはちょっと懐疑的に思ってます。テキストだったら5分で終わることが10分とか、単純に時間を取られるのでちょっとキツいなって思うのと、お笑いみたいなことをやる人が多いですけど、それをやったらササダンゴ・マシンとか男色ディーノ、お笑いの人に絶対勝てない。結局自分が思ういいものは出せないよなって思っちゃうし、やっぱり似かよってきて、大量生産・大量消費の渦に巻き込まれていくなと思ってやってないんです」

 無慈悲・無関心に消費していく世の中に青木は抗う。

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どうやったら生き残れるのかっていうのは…