自分も相撲取りになりたかったおやじにとって、相撲はやっぱり特別だったようだね。中学校に上がって野球部に入ったら「なんだ、そんな娯楽やりやがって! 早く帰ってきて手伝え!」って怒られたけど、それが相撲の練習で遅くなると何も言われない。当時はあちこちで相撲大会が開催されていて、俺はからだが大きかったから、相撲大会があると引っ張り出されてね。勝つと懸賞で大学ノートがもらえるんだけど、ひと夏で70冊くらい稼いだよ(笑)。でも、せっかく野球部に入ったのに相撲大会に引っ張り出されて、そっちの練習をしている内に野球部を辞めたことにさせられたんだよね。

 今でも本気で思うんだが、俺はからだも大きいし左利きだから、あのまま野球を続けていたらプロに行って、息長く活躍するいいピッチャーになっていたんだじゃないかなぁ。そうしたらもっとカネを稼げていたのになぁ。だって、相撲は入門してから十両に上がるまでの7年半は一銭ももらえなかったし、プロ野球選手の稼ぎを見たらそう思うよ。おやじも下手をうったね(笑)。

 俺も親になってみて思うのは、相撲は不器用な親父のたったひとつのコミュニケーション手段だったんだということだ。おやじは口で教えるのではなく、見ていればわかるだろうというタイプ。特に農家なんてやってみないとわからないことだらけだからね。実家にいたのは13歳までだったけど、人生はままならないんだってことを教えられた。いつもおやじに首根っこを押さえつけられていたから、相撲部屋に入門しても先輩はやかましかったけど、人数も多かったし、逃げ場所もあった。「おやじほどじゃないな。こっちには自由がある」と思ったほどだよ。家にいると常におやじと1対1だったからね。そういう意味では実家で鍛えられていたんだと思うよ。

 そうして相撲部屋に入門して、一年くらいを過ごしてから相撲教習所に通い始めた。相撲の世界に入ってきた人間はかならず行くところでね。朝に相撲の稽古をして、それから座学。日本史や相撲史、詩吟、日本の神話なんかも習うんだけど、その講師がすごい。歴史学者の和歌森太郎先生が日本史を教えに来てくれたからね! でも、俺らみたいな連中にはもったいないよ。あの和歌森先生の授業でも寝ているんだから(苦笑)。まあ、15~16歳の小僧に和歌森先生の授業はまだ早かったってことだ……。

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同じ年の貴ノ花が先輩風を吹かせて