その相撲教習所の同期が貴ノ花だ。横綱・若乃花の末弟ということで、俺も意識はしていた。貴ノ花とは同い年だが、俺の方が1年早く相撲の世界に入っているから先輩風を吹かせようと思っていたよ。ところが貴ノ花は平気で俺のことを「おう、嶋田!」って呼び捨てにしたからなぁ。あの野郎(笑)。ほかにも後に大関になった大受、時津風を継いだ山本も教習所の同期だね。

 教習所では礼儀をしっかりしつけられたけど、一番印象的だったのは、ある親方に言われた「もし、今後相撲人気が無くなったとしても、40~50年は今の給与形態でお前たちを養っていけるだけの余裕はある」ということだ。これを聞いたときはさすがに驚いたよ。その後、日本相撲協会が今の両国国技館を無借金で建てたときは「あの話は本当だったんだ!」と実感したもんだ。

 そしてもちろん、プロレス修行も忘れられないね。正直、プロレスなんて「明日からでもできる」と思っていた。相撲時代は下っ端をつかまえて土俵でダブルアームスープレックスをぶちかましたりしてたからね。ところが、初めて全日本プロレスの道場に行ったときに、ジャンボ鶴田が「とりあえずボディスラムの受け身からやってみようか」と言って、俺を抱えて軽く投げたんだ。そのときの衝撃といったら! マットに叩きつけられた瞬間、五臓六腑に衝撃が伝わって、俺はウ〇コを漏らすかと思ったよ! この一発で相撲で幕内までいったという俺の自信はもろくも崩れたね。さらに、そのときにそばで見ていた渕正信が言った「ねえ、プロレスは簡単じゃないでしょ。甘くないんだよ」という一言が40年以上経った今でも忘れられない……! あの野郎、言いやがって!(笑)

 それからザ・グレート・カブキさんに基本的な受け身を教わって、アメリカのドリー・ファンク・ジュニアのところへプロレス修行に出された。俺はてっきり、ドリーがつきっきりで教えてくれるもんだと思っていたけど、ドリーも現役の選手だから自分の試合があって、一週間か10日に1回くらいしか教えてくれないんだよね。俺は半年後に日本に帰ったら試合に出なきゃいけないから焦って、毎日のようにドリーに教えてくれって電話したもんだよ。

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なにかとジャンボと比較されて