「3・11」が日本人にとって特別な意味を持つようになってから、まもなく10年が経過しようとしている。現在発売中の週刊朝日MOOK『医者と医学部がわかる2021』では、東日本大震災で自ら被災しながら、医療活動に従事した医師に取材した。医師の10 年を追う。
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2011年3月11日午後2時46分、三陸沖を震源とする地震が発生した。そのマグニチュードは9・0。日本周辺における観測史上最大規模のものだった。
揺れは東北・関東を中心に広範囲に及び、最大震度は宮城県栗原市で7を記録。その揺れは多くの日本人にとって、初めて体験する強さだった。
この地震の影響で発生した津波は、東北・関東の太平洋沿岸部を襲った。その高さは15メートル以上にもなり、各所に壊滅的な被害を与えた。この津波により、福島県の福島第一原子力発電所では、複数の原子炉でメルトダウン(炉心溶融)が発生し、放射性物質が漏出。周辺住民は避難を余儀なくされた。避難指示区域はいまだ全面解除には至っていない。
東日本大震災での死者数は、1万5千人を超え、建造物は全壊が12万戸以上、一部損壊などを含めると100万戸以上に被害が及んだ。
震災の際、自らも被災したにもかかわらず、医師たちは目の前の命を守るために奮闘した。その体験は、その後の歩みにどのような影響を与えたのか。ある医師の姿を追う。
■送別会予定日に起きた東日本大震災
菅野武医師が東日本大震災に遭遇したのは31歳のとき。宮城県南三陸町の公立志津川病院の内科医長として勤務しており、翌月からは東北大学大学院に進学することが決まっていた。
「地域医療に携わろうと思い自治医科大学医学部を卒業し、丸6年が経とうとしているころでした。大学病院などの比較的大きな病院では治療法を学び、病気と向き合うことが基本的なテーマとなりますが、地域医療では患者さんの悩みや苦しみを理解し、病気だけではなく『人に向き合い寄り添う医療』が大切になります。まだまだ若造でしたが、その意味が実感としてわかるようになってきたころでした」