■「被災時受援体制」の構築を目指して


 
 あれから10年――。菅野医師は現在、東北大学病院で総合地域医療教育支援部と消化器内科を兼務しており、その活動は多岐にわたる。「受援体制」に関する提言もそのひとつだ。
 
 東日本大震災では、日本のみならず、世界各国からDMATなどの災害派遣医療チームが被災地で活動を行った。南三陸町にも多くのチームが集まった。

「南三陸町は志津川病院を含むすべての病院がダウンしたため、町内で一番大きい避難所に医療統括本部を立ち上げ、態勢を整えました」
 
 菅野医師は、ほかの地元の医師と共に、地域の状況を把握し、適切に医療チームを派遣するようにする一方、医療のニーズの掘り起こしや医薬品の整備、衛生管理、感染症防止対策、支援後の医療体制の構築など、諸問題に対処していった。

「例えば、支援物資には多数のジェネリック医薬品が含まれます。支援する医師は専門外のケースも多いですから、薬剤師との連携が欠かせません」
 
 医薬品以外のケースでも保健師や歯科医師などのほか、行政など医療者以外との連携が必要となる。

「この経験により、支援を受ける側の『被災時受援体制』の構築がとても大切だと気づきました」
 
 避難所を離れた後、菅野医師は講演や執筆などを通じて「受援」に関する提言を続け、13年には高知県災害医療アドバイザーに就任した。19年からは東北大学と福島県立医科大学が共同で実施する「コンダクター型災害保健医療人材の養成プログラム」の運営にも携わる。

「医師のほか、看護師やNPO、行政などそれぞれが災害時における研修や訓練などを独自に行っていますが、このプログラムはそれらの職種を横断する内容となっています。災害時には、各分野の専門家をつなぎ、支援のベクトルを合わせられるような『受援体制』を構築できる人材育成を目指しています」
 
 避難所での活動は、自身の専門である消化性潰瘍(かい・よう)についての研究にもつながった。

「避難所で活動を続けていると、震災後、いくつか特定の病気が増えることがわかってきました。そのひとつが、ストレス性の潰瘍(消化性潰瘍、特に出血性潰瘍)でした」
 

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