スポーツと介護を両立、アマ野球界に新風吹き込むハナマウイの“新たな発想” (2/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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スポーツと介護を両立、アマ野球界に新風吹き込むハナマウイの“新たな発想”

山岡則夫dot.
本西厚博監督(左)と森賢司オーナー兼女子監督(右)(写真提供・取材協力:ハナマウイ)

本西厚博監督(左)と森賢司オーナー兼女子監督(右)(写真提供・取材協力:ハナマウイ)

「最初は中学生から始めた。当時うちの介護施設建築をお願いしていた職人さんが、息子のチームのコーチだった。その人に『チームを作りなよ』と言われた。考えもしなかったことだった。正直ビジネスには何もつながらないから、気持ちの部分だけで始めた。野球は大好きだし何かの縁かなと思った。僕の性格はわかっているので、家族など周囲は何も言わなかった」

 12年に自前球場を手に入れる。チームが自由に使える場所の確保が、強化するために必要不可欠。関東近郊のグラウンド不足の状況は深刻で、自前球場の利点や重要性を認識していた。会社所在地の東京からは少し離れるが、富里市に最適な物件が見つかった。

「球場問題は深刻だった。チームはいろいろ場所を借りて、都内近郊を放浪していた。最初は冗談半分で『政治家に献金でも渡して、融通してもらおうか』とも思ったほど。そんな時に現在の場所が手に入った。もともと航空会社の子会社が所有していた、グラウンド兼緊急ヘリの発着場。野球をするには十分な場所だったが、当時は草野球場の延長みたいな感じ。手を加えて現在の形に作り上げた」

 明友硬式野球倶楽部を立ち上げてから10年、女子チームへの転換を図る。たまたま見る機会があった大学女子野球で選手のひたむきさに触れた。本業の人材採用が難しい状況もあり、野球と介護の両方に熱心に向き合ってくれる若い人材を求めた。

「正直ビジネス面もあって女子部を作った。高齢者はどんどん増えているのに、介護の働き手がいない。また募集しても年齢が高過ぎたり、仕事ができないような人ばかり。『女子野球チームを持てば若い人材が来てくれるかも』と考えた。野球もできて就職の受け皿になれる。社会のプラスになれる。会社は労働力が手に入る。すべてが良いこと尽くめだと考えた」

 創部初年度の17年から女子日本代表『マドンナジャパン』や、女子プロ野球の経験者など有力選手が加入。部員10人ながら全日本女子硬式選手権でいきなり準決勝進出を果たす。翌18年には部員も17人に増え、全日本女子硬式選手権と全日本女子硬式クラブ選手権の両方で日本一に輝いた。

「野球だけでなく仕事も懸命にやる人材が次々に集まった。『我々はプロとして野球をしに来ていると考える選手もいるのでは』と心配もあった。でもそういう選手はいない。野球に対する情熱が仕事もさせるのか。現実を理解した上で野球をやれる喜びを感じているのか。要介護の高齢者にもしっかり接してくれて離職も少ない。野球を引退しても会社に残って欲しいと思える人材ばかり」


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