長嶋茂雄、王貞治から始まり、同年代の江川卓に憧れた。元来の野球好きである森氏の思いはさらに強くなった。女子だけでなく男子チームも欲しい。チームが強くなるのを傍らで支えながら、アマチュア野球の最高峰、都市対抗野球への夢をともに追いかけたい。女子部助監督は本西が既に務めていたこともあり必然的な流れだった。女子部で培った雇用形態などのノウハウを生かしつつ、男子部ができた。

「男女両チームは難しいと思ったが、企業でなくクラブならと。また本西監督という経験豊富な素晴らしい人材もいるので決断した。正直、まだわからないことが多いが手応えも感じている。男子部創部から間もない去年、日本に遠征していた香港代表が帰国前にうちに寄って練習試合をすることになった。でも人数が足りなくて、相手から2人ほど借りた状態だった。それが1年後には都市対抗に出場。運も良かったが、着実に前進している。名門チームとの練習試合もできるようになった。甘くはないだろうが都市対抗にまた出たい」

「今後は球場をもっと充実させて練習環境を良くしたい。そして野球はもちろん待遇面を良くしたい。それには大前提として本業がうまく行かないとダメ。昨今の流れで多少、業績が下がるのは見えているが、高齢化社会で介護は絶対に必要。選手として一流であり、同時に介護の担い手にもなって欲しい。ハナマウイに関わる人、みんながうまく回って生活が向上するようにしたい」

 チームオーナー、そして経営者という2つ立場からの本音ものぞかせる。経済の先行きが不透明な中で、企業スポーツは規模縮小の一途を辿っている。高齢化社会に不可欠なデイサービスを母体にするクラブチームは、時代に即したアマチュア野球形態とも言える。本業で感じる実社会での問題解決に、野球を通して少しでも貢献できるのでは、という思いもある。

「本当に惜しかった。あそこまで行ったら勝ちたかった。次こそはね」(森氏)

「オフの新選手補強も順調。土台は出来上がったので、ここからは勝つ野球」(本西監督)

 2人は強くて熱い言葉を残してくれた。大きな可能性を感じさせ、大舞台における遠くない未来の勝利も見え始めている。そしてハナマウイの躍進は、今後の日本社会にも大きな影響を及ぼすようにも感じる。(文・山岡則夫)

●プロフィール
山岡則夫/1972年島根県出身。千葉大学卒業後、アパレル会社勤務などを経て01年にInnings,Co.を設立、雑誌『Ballpark Time!』を発刊。現在はBallparkレーベルとして様々な書籍、雑誌を企画、編集・製作するほか、多くの雑誌、書籍、ホームページ等に寄稿している。Ballpark Time!公式ページ、facebook(Ballpark Time)に取材日記を不定期更新中。現在の肩書きはスポーツスペクテイター。