布啓一郎監督の最終年で4度目の選手権制覇を果たした2002年のチームも人材の宝庫で、最終ラインに主将の大久保裕樹(3年→広島)、青木良太(3年→G大阪)、小宮山尊信(3年→順天堂大→横浜FM)、増嶋竜也(2年→FC東京)のJリーガー4人が顔を揃え、中盤には小川佳純(3年→明治大→名古屋)、高安亮介(3年→国際武道大→栃木)、そして前線は原一樹(3年→駒沢大→清水)とFWカレン・ロバート(2年→磐田)。このチームからも実に8人もの選手がJリーガーとなった。

 また、優勝という結果を残せなかった高校の中にも“未来のプロだらけ”だったチームはあり、その一つが1992年度の桐蔭学園だ。李国秀監督の下、DF陣には山田卓也(3年→駒沢大→V川崎)、広長優志(2年→V川崎)、森岡隆三(2年→鹿島)という五輪、W杯に出場した実力者が揃い、中盤の加賀見健介(3年→青山学院大→東京ガス・FC東京)、橋本研一(2年→鹿島)もプロ入り。前線にもプロではDFとして活躍した三上和良(2年→駒沢大→神戸)がいた。そして控えには、米山篤志(1年→駒沢大→V川崎)、盛田剛平(1年→駒沢大→浦和)がいるという豪華絢爛ぶり。成績的には関東大会優勝のあと、全日本ユースでベスト4。優勝候補の最右翼にも推された選手権では、2回戦で山城相手にPK戦で敗れ、早すぎる敗退となった。それでもタレント揃いのチームが繰り広げたテクニカルなサッカーは魅力的だった。

 ここで挙げたチーム以外にも、複数の未来のJリーガーたちが同時にピッチに立ったチームは多くあったが、今後はどうだろうか。小学、中学で世代トップの選手たちの大部分がJクラブの下部組織に流入するようになった中で、今後、高体連のチームにこれほどまでの人材が一気に集まることは、おそらく不可能だろう。だからこそ、かつての“ドリームチーム”に思いを馳せる。そして、忘れることはない。