その点「麒麟」の主人公・光秀は女性にまつわる史実が弱い。ライバルの秀吉には北政所もいれば淀殿もいるのに、ここでも差がついてしまっている。だからこそ、駒という架空の人物を創造したのだろう。

 実際、同じ池端俊策が脚本を書いた大河「太平記」(1991年)でも、主人公・足利尊氏と恋に落ちる踊り子(宮沢りえ)が登場。ほぼ架空の人物ながら、はかない美しさでドラマを盛り上げた。途中で非業の死を遂げるものの、最期まで尊氏を思い続け、その息子がやがて父の尊氏に反旗をひるがえすことで、そのヒロイン性は終盤まで物語に影響していくのだ。

 ちなみに、チーフプロデューサーの落合将は「麒麟がくる」というタイトルについて、

「我々としては、誰かが革命的なことをしたから今がある的なドラマにはしたくなくて。その時代にどういう人間が動いたかという大きな群像劇をやりたかったので、個人名をタイトルに入れたくなかったんです」(マイナビニュース)

 と、説明している。たしかに、魅力的なキャラの多い群像劇ではあるが、こと、ヒロインおよびヒロイン的存在についてはぼやけてしまった印象だ。残る4回、どうなるのだろう。

 個人的には、石川さゆりが演じている母のエピソードを使うかどうかが気になる。丹波攻めの際に人質になり、信長のせいで見殺しにされ、はりつけになる話は後世の創作とされるが、過去の大河でも描かれてきた。

 一方、若手では芦田愛菜扮する光秀の娘・たまがクローズアップされることだろう。すでに細川忠興に嫁ぐ話が浮上しているように、細川ガラシャ夫人として関ケ原の戦いで悲壮な死を遂げる女性だ。この大河ではその時代まで描かれないが、細川家は本能寺の変で光秀と袂を分かつことになる。板挟み的な苦衷が描かれるのではないか。

 芦田は公式コメントで、この役について「戦国の女性の中でも憧れだった」「芯が強くてかっこいい女性」と語っている。考えてみれば、大河の主人公になってもおかしくない人物だし、芦田もまた、未来の大河主演候補だ。それこそ、10年先くらいには、大河ドラマ「ガラシャ」主演・芦田愛菜、なんてものが作られるかもしれない。その予告編みたいに楽しむのもよさそうだ。

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最後にみたい「門脇麦=駒」の活躍