「なぜ一軍だと活躍できない…」二軍では“無双を誇った”プロ野球選手列伝 (1/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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「なぜ一軍だと活躍できない…」二軍では“無双を誇った”プロ野球選手列伝

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久保田龍雄dot.
一軍では思ったような成績が残せなかった巨人・大森剛 (c)朝日新聞社

一軍では思ったような成績が残せなかった巨人・大森剛 (c)朝日新聞社

 2軍で最も多くホームランを打った選手は誰か?答えは、斉藤浩行の通算161本だ。

 1982年、ドラフト2位で広島に入団した斉藤は、“ポスト山本浩二”と期待される長距離砲だったが、2年目の日南キャンプで選手生命の危機に直面する。

 一塁を守ってノックを受けていた時、イレギュラーした打球が右目を直撃。1.5あった視力が一時は0.1まで落ちてしまう。そんな絶望のどん底から、手術と必死のリハビリを経て、3カ月後に1軍復帰をはたしたが、ここからさらなる苦難が待っていた。

「目を傷めてから、暗い場所のボールが見づらくなったんです。2軍の試合は昼間だからボールがよく見えるけど、1軍はナイター。(左右の視力の違いから)遠近感がつかめなくて……」。

 4打席の中で結果を出すタイプなのに、1軍では、1週間で代打1回だけということもあった。結果が出ないと、コーチ陣が入れ代わり立ち代わり技術指導してくる。真面目な性格からすべてを聞き入れてしまい、「自分のバッティングがますますわからなくなった」という。

 だが、2軍では面白いように本塁打を量産し、86年のシーズン終了時点で通算85本に達した。「上に上がるため、必死だったから、(本塁打の)数字は気にしなかった」そうだが、翌87年、「もうすぐ100本」と周囲が騒ぎ出すと、「それなら打っちゃえ!」と乗せられる形で2軍史上初の快挙を達成した。以来、1軍での出番も増え、88年は2試合連続代打本塁打を記録。そして、中日に移籍した翌89年は、「打てないのは、目のせいじゃないよ」という落合博満のアドバイスで前向きな気持ちになり、出場58試合で6本塁打、17打点と「野球人生で最も充実した1年」を過ごした。

 日本ハム移籍後の92年、野茂英雄(近鉄)から二塁打、星野伸之(オリックス)から中前安打を放ったのを最後に現役引退。1軍通算16本塁打に対し、2軍では3度の本塁打王を獲得し、今も歴代トップの通算161本塁打。「今では、2軍で名前残って良かったと思ってます」と語る。


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