0対0の2回、先頭打者の山之内は、1ボールからの2球目、小林由浩の真ん中低め直球をバックスクリーン右に125メートルの特大先制ソロ。

 並外れたパワーに恐れをなした法政二は、2打席目を敬遠気味に歩かせたあと、2対1で迎えた5回1死一、三塁の3打席目では、外野手がフェンスにへばりつくようにして守る“山之内シフト”で対抗する。ところが、山之内はまるでその裏をかくように、中前へポトリと落とし、2打点目を挙げた。

 そして、4対3の7回無死一、二塁で迎えた4打席目、「前の打席で詰まらされましたからね。目一杯振りました」とフルスイングした打球は、右翼席中段に突き刺さる130メートル弾となり、試合を決めた。

 だが、ダイヤモンドを1周する山之内は、ガッツポーズひとつ見せず、なぜか淡々とした表情。実は、7回の一塁守備で打者走者と交錯した際に右太ももを強打し、「そっちのほうが痛くて、ポーズつけるの忘れていたんです」。3打数3安打5打点の大活躍でお立ち台に上がった九州のバースは、大きな体に似合わず、ぼそぼそとつぶやいた。

 2回戦の福井商戦も5打数4安打の大当たりで、エース左腕・前田幸長とともに勝利に貢献したが、決勝では両手の指と両膝の打撲を押しての奮闘も実らず、広島商に0対1で惜敗。試合後、涙を拭きながら、「勝てなかったことには悔いが残ります。でも、最高の3年間です」と胸を張った。

 巨漢選手というと、“鈍足”のイメージが強いが、強打のみならず足でも見せ場をつくったのが、04年に甲子園デビューをはたした明徳義塾の一塁手・中田亮二だ。

 170センチ、124キロと、香川や山之内を上回る体重の持ち主は、入学早々、馬淵史郎監督から“ブーちゃん”のニックネームをつけられたが、50メートル走6秒6と意外に俊足で、バク転もできるほど体も柔らかい。2年生ながら、夏の高知県大会からベンチ入りをはたし、甲子園入り後は、体重も115キロに絞って“身軽”になった分、さらに動きが良くなった。

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のちのプロをめった打ちにした“明徳のブーちゃん”