プロレスラーの“魅力”をリング上以外でも披露している長州力(左)と天龍源一郎(右) (c)朝日新聞社
プロレスラーの“魅力”をリング上以外でも披露している長州力(左)と天龍源一郎(右) (c)朝日新聞社

 長州力と天龍源一郎

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 プロレス史に残る2人のレジェンドは、いまやバラエティ番組に欠かせない存在。『滑舌の悪いおじさん』として多くの世代から知名度抜群だ。プロレスラーをはじめアスリートが引退後に芸能界で生き残るのは難しい。とくに長州と天龍は現役時代、職人気質の『カタブツ』としてもよく知られた存在だった。なぜ、これほどまでテレビ業界で重宝されるようになったのだろうか。

「お願いしたことはなんでもこなしてくれる。最初は頑固な人でNG案件も多いと思っていたのですが、意外な印象で本当に仕事をやりやすい。わからないことはどんどん聞いてくれるし、自分自身でも話し方など練習している。プロレスの世界でトップまで行った2人の職人気質というか、こだわりの凄さには頭が下がります」とテレビ局関係者。長州力と天龍は起用しやすいタレントであり、多くの番組に呼ばれる理由がわかると語る。

 お笑い芸人・ダウンタウンの人気年末特番をはじめ、多くの番組でいじられるキャラも多い。往年のプロレスファンからすれば信じられない光景が画面に映る。

「キツくツッコまれても笑って受け流してくれる度量がある。怒られるかな、ということでも本人たちが楽しんでいるような雰囲気すらある。2人が全盛期だったプロレス界は興行なども絡み、いろいろあった時代と聞いている。そこを生き抜いてきた強さや人付き合いのうまさを感じますね。スタッフにも気を使ってくれる。中途半端に知名度ある芸人さんよりやりやすい」(前出のテレビ局関係者)

 元々持つキャラクターとともに、業界を生き抜くための強さや賢さを備えている。

 長州は51年山口県出身の在日韓国人二世であり、大学3年生の時にはミュンヘン五輪(72年)にレスリング韓国代表として出場。その後も大学4年時の全日本選手権で100kg級フリースタイルとグレコローマンの優勝など、多くの結果を残し74年新日本プロレス入団。体勢側に反旗を掲げた『革命戦士』として人気を得て、藤波辰巳との対戦は『名勝負数え唄』として語り継がれている。84年、新日本を退社するとともにジャパンプロレス旗揚げし全日本プロレス移籍。その後87年に新日本復帰、現場監督としても団体内を取り仕切るようになっていき、98年にいったん現役引退をする。

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「若い頃から自分を売り込むことに…」