シングル選手としても人気絶頂だった90年、全日本を離れ多額の資金をバックに持つ新団体SWSに移籍するも団体は早々に崩壊。その後自身で団体WARを設立するも8年ほどで活動停止するなど苦難を味わう。しかし『天龍ブランド』への需要はなくならずフリーとして多くの団体のリングに上がったり、女子選手との対戦もおこなうなど話題を振りまいてきた。そして15年11月15日の後楽園ホールで次代を背負うオカダ・カズチカ(新日本)と戦い、現役引退した。

「全日本を退団したのは、待遇に不満があったからでは。大相撲出身の天龍は外様のような扱いを受け、給料やマッチメークなど、生え抜き選手と比べ冷遇されていた。そこへエースとして迎えたい、として立場、お金の両方からプライドをくすぐられたのだろう」(前出のプロレスライター)

 大きな希望を持ってのSWS移籍も失敗、その後のWARも成功には至らず、決して順風万端なプロレス人生ではなかったといえるだろう。

 芸能(=テレビ)も興行(=プロレス)も、『水商売』と呼ばれるほど浮き沈みが激しい世界。その中での生存競争を生き抜いてきている長州と天龍。これまで紆余曲折を経験している分、立ち振る舞い方を知っている、と芸能記者は納得する。

「義理人情だけでは生きていけないことを知っている。その時々で様々な人が寄ってくるが、誰とうまく付き合うべきか見極めている。また周囲からどう思われようが自分が上に行くためなら、と腹がくくれているのだろう。まさに勝負師ですね」テレビの世界でもリング上さながらの勝負強さは変わらない。しばらくはこの2人が画面から消えることはなさそうだ。