軌間をわざわざ合わせてまで望んだ都電直通運転は、戦後も実現していない。これは山手線内の鉄道は東京都と営団地下鉄(現・東京地下鉄)が担うという東京都の政策があったためで、京成のみならず郊外へ延びる私鉄各社が山手線の駅に隣接してターミナルを設けている理由のひとつである。このため、当時の押上線は京成の中でも地味な存在の路線であった。

■都営浅草線・京急と相互乗り入れする路線に

 地味な下町の一ローカル線だった押上線だが、1957年に転機が訪れた。運輸省(現・国土交通省)主催の「地下高速鉄道に関する会議」を機に、京成・東京都・京浜急行電鉄による三社局直通乗り入れ協定が成立したのだ。

 このころ、都市交通審議会において山手線内に地下鉄を建設することが検討され、後に出された答申で郊外私鉄との直通運転が盛り込まれた。京成・東京都交通局(都営地下鉄)・京浜急行電鉄の直通協定はこれらの嚆矢(こうし)とされるもので、新設される都営地下鉄1号線(現・浅草線)は押上で接続とされた。これによりローカル線だった押上線が都心直通路線として脚光を浴びるようになった。

 ところが、直通に際して軌間が問題になった。京成は1372ミリ、京急は新幹線と同じ1435ミリを採用しており、このままでは直通できない。そこで京成は京急に合わせて1435ミリに改軌、都営地下鉄は1435ミリ軌間で建設されることとなった。

 1960年12月に都営地下鉄1号線押上~浅草橋間が開業し、同時に京成との相互直通運転が始まった。合わせて押上駅は地下化された。直通先は1968年に京急の三浦海岸まで達し、1970年に京成成田~三浦海岸間に押上線経由で臨時の直通特急が運行された。京成悲願の都心延伸は、東京市電から都営地下鉄にステージを変えて実現したことになる。

■首都圏の二大空港を結ぶ重要路線に成長

 京成本線は成田空港開港に合わせて1978年に京成成田~成田空港間を開業。京成上野~成田空港間に「スカイライナー」の運行を開始、そして1991年にはJR東日本とともに空港ターミナルビル直下へ乗り入れ、新しい成田空港駅を開業した。

 1988年に京急電鉄は羽田空港新ターミナルビルに乗り入れると、かねてから懸案だった成田空港と羽田空港を直通する「エアポート快速特急(現・エアポート快特)」の運行が始まった。この時から押上線は都心直通線とともに羽田~成田の両空港を結ぶ使命も帯びるようになった。

 しかし、両空港を移動する乗客が予想よりはるかに少なく、地下鉄乗り入れ対応で設計されていた「スカイライナー」の2代目車両AE100形が都営浅草線に乗り入れる機会もなく、2006年に京成佐倉折り返しに短縮された。

 2010年に北総鉄道~千葉ニュータウン鉄道から成田空港へ抜ける「成田スカイアクセス」が開業すると、京成上野~成田空港間「スカイライナー」、通勤形電車を使用した新設の「アクセス特急」が成田スカイアクセス経由となり、羽田空港~成田空港間にも押上線を経由して「アクセス特急」の運行が始まった。

 京成の創業路線である押上線は、一時はローカル線の地位に甘んじていたが、現在はアクセス特急・特急・快速特急・普通と、朝夕ラッシュ時のみ運行される通勤特急の5種別が走る幹線となり、地域輸送・都心直通・空港連絡の3つの使命を帯びている。(文/平賀尉哲)