メジャーでの実績もさることながら、モスビーが入団時に巨人と結んだとされる契約が、1年で80万ドル(推定)というのも驚き。今のようにアメリカとの年俸格差はそこまで大きくなかったが、メジャーリーグのチームからのオファーがあったとされる中、この年俸の額で来日したのも、今では考えられない。

 93年には、ブルージェイズ時代にはモスビーともプレーをし、名門ヤンキースにも所属したバーフィールドが入団。来日時は33歳だったバーフィールドは、ブルージェイズ在籍時の86年に40本のホームランを放ち、ア・リーグ本塁打王のタイトルを獲得した大砲だ。メジャーの12年間では1219安打、241本塁打、716打点マークし、オールスター選出1回、ゴールドグラブ賞2回、シルバースラッガー賞1回と、申し分ない経歴の持ち主だった。

 日本時代は、開幕戦でハマの大魔神・佐々木主浩から来日初安打初ホームランを放つなどインパクトは残したが、右手首の手術の影響や変化球の対応に苦しみ、打率は.215と低迷。それでも104試合の出場で26本塁打を記録し、かつて一流メジャーリーガーだったことの片りんは披露した。

 翌94年に獲得したグラッデン(来日時は36歳)は、ヤクルトの捕手・中西親志との大乱闘のイメージが強いが、MLBでもしっかりと成績を収めていたのも忘れてはならない。米国ではドラフト外の入団からメジャーまで登りつめた叩き上げの選手で、11年間通算で1215安打、74本塁打、446打点、222盗塁の成績をマークし、ツインズ時代の87年と91年にはワールドシリーズ制覇にも貢献している。日本でのプレーは1年のみで成績は98試合で打率.267、15本塁打、37打点だった。

 同年94年には、グラッデンの他にも、ジミー・ジョーンズという先発右腕が加入している。巨人では2年間で9勝(4敗)しか挙げておらず印象は薄いが、アストロズ時代の92年に10勝(6敗)をマークし、来日時は年齢が29歳。それまでにメジャー通算で43勝(39敗)を挙げるなど実績は十分だった。

 仮に巨人入り前のジョーンズが、現在の年俸高騰が著しく、先発投手の需要も高いメジャーリーグでフリーエージェントになったと考えると、年俸が10億円を超えることも考えられる。入団の際にはそこまで日本のメディアにも騒がれることがなかったジョーンズだったが、今では中々このレベルの投手が日本には来てはくれないのが現状だ。

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巨人の90年代“最後の大物”といえば…