そのままそこでやればいいのに、30歳になるまで、アメリカへプロレス修行に行ったり来たりして。ちんたらちんたら馬鹿な人生を送って失敗したよ(笑)。日本にいたらちゃんと確約されたファイトマネーもらえたのに、“アメリカに行ってきます”とか、偉そうなこと言って……。アメリカでは本当に主役級でなければお金がもらえない。前から4試合目くらいのランクで、最低保障された金額が一試合50ドルのギャランティ。だから、俺なんか、1週間試合をやったとしても50ドル×7日で350ドルにしかならない。そのうえ、仲間の車に乗せてもらって試合会場に行き、そのガソリン代を払う。1週間、東京から名古屋とか神戸とかの距離の試合会場まで行って帰って、行って帰って繰り返ししていても、1試合50ドルしかもらえなくて、結婚するまでそんな生活していて、何に希望を持ってやっていたんだろうな? そこがまた俺の性格の為せる技だったと思うんだけどね。

 アメリカにいた頃は若かったから、明日は来るっていう漠然たるものを感じていた。その日暮らしだけど、縛られるものが何もないから俺は俺のペースで生きていられてそれでよかった。

 そんな時、(ザ・グレート・)カブキさんが試合を組んでくれたことがあって、カブキさんが、「天龍はなんでアメリカにいるんだよ?」って聞いてきた。俺は「いやー日本にいると、なんて言うんですかね、人の目が厳しくて、アメリカだと気が楽だから、俺はもうアメリカで定住して、アメリカで生活しようと思うんですよ」って話したんだよね。カブキさんはいつも親身になって相談も乗ってくれた先輩だから「そうだよね」って俺に同意してくれると思ったんだよ。

 そうしたら「何言ってんだよ。アメリカで天龍なんて誰も知らないよ!」名前を売ってから稼げるっていうのがアメリカだから、「誰も名前を知らないのにどうやってメシ飯を食っていくんだよ。日本に帰ったら天龍っていうのは誰もが知っているんだから、日本に帰ったほうがいい、日本に帰れ!」と。

 カブキさんは日本にいるときから俺のことをかばってくれたりして、そんな人が“アメリカなんかであんたは食えない”なんて厳しい事言うなんて、その時は随分冷たいなって思った。そこで日本に帰ってきてやっぱり正解だったんだよね。あの時、カブキさんは心を鬼にして突き放してくれたんだなって思うよね。

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