そんな今の俺がいて、昔の試合の一戦に懸けている姿が重なるとだんだん伝説化してくるんだな。昔の試合が名勝負として語り継がれて、伝説化していくのは儲けモンだなってつくづく思ったよ。

 長生きしてつくづく儲けモンだと思ったけど、相撲時代は、部屋で食べるものは出てくるから、衣食住は困らなかった。相撲界に13歳で入ったから金銭感覚っていうものがなかったね。相撲の世界に入れてくれた人が13歳のガキにご飯をご馳走してくれて「はい、これ」ってご祝儀をくれるんだよ。13歳のガキにだよ。そのときに一万円とか二万円とかもらったのが、お金に頓着がなくなったゆえんだと思う。あの頃、昭和38年だから、1964年に一万円もらうことを覚えてしまった。大金だとは理解していたけど、何かに使っちゃったって感じの記憶だよ。当時、1000円あったら、タクシーで両国駅から錦糸町まで行って、映画見て、かつ丼とラーメン食って、またタクシーで帰ってこられた。その10倍の金額をポンと渡されるわけだからね。お金が大事だっていう理解がなかったな。

 相撲で三役に上がりたいっていう欲はあったよ。当時は、金剛とか麒麟児っていう力士がいて、闘ってみると己がわかるんだ。“これが関脇か”って。稽古場で闘って勝てないと言うことは関脇に上がるは厳しい俺がいるのかなって、終生の番付ってわかるんだよね。歳を重ねていくと相撲では無理だなって行き詰まる俺がいるんだよ。後援会の人達も何年も十両を行ったり来たりしていると、人数が増えるわけでもなく、やってくれることがこれくらいとか見えてくると、自分を劇的に変えるしかないなって考えるようになる。今年の初場所で徳勝龍が優勝したみたいに、ああいう劇的なことがない限り、ばっと後援会が増えることはない。自分が変わればいいんだけど、慣れ親しんだ相撲界で自分を変えるっているのは難しかったよね。

 そんなときに馬場さんが「相撲の(お金の)倍出すからプロレスに来なよ」って言ってくれて、これで例えば結婚しても自分で生きていけるなって、人生に光が見えた気がしたよ。結婚してもちゃんと自分で家族を養っていかれるって。相撲のときの給料じゃ、そんなにいいところに住めないし、部屋でご飯食べて、場所ごとに手当が出て、あとはご祝儀頼みが正直なところ。いかにもみすぼらしいな、嫌だなって気持ちだけは抱いていた。だから、プロレスの話がきたときに、「あ、これで生活が」って思ったのが正直なところ。

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アメリカでのプロレス修行時代のギャラはたった50ドル