「オールスターはお祭りどころではない。僕らは目の色を変えてセの連中に一泡吹かそうと本気で思った」(高井)

 松岡の2球目のとき、グラブの位置が胸よりも高くなった。これは変化球だ。走者一塁だからシュートで併殺を狙うに違いない。高井はそっとホームベースから離れ、内角を打つ準備をした。そこへ予想通りの球、シュートが来た。

 フルスイングすると打球はライナーで左中間スタンドに突き刺さった。オールスター史上初の代打逆転サヨナラ本塁打だった。もちろんMVPは高井だった。松岡はコース、速さとも最高の球なのになぜ打たれたのか悔やんだ。そこには高井の鋭い分析があった。

■西本幸雄の信任投票に大きくバツ

 高井は1945年に愛媛県今治市で生まれた。社会人野球を経て64年に阪急ブレーブスに入団したが、同じ一塁のポジションに元メジャーリーガーのダリル・スペンサーらがいたため、代打でしか出場機会はなかった。

 スペンサーは、本塁打も30本以上放ち、常にタイトル争いをするほどの打者だから高井に勝ち目はなかった。しかも監督の西本幸雄はマスコミの「高井は変化球に弱い」という言葉をうのみにして、1軍でほとんど起用しなかった。

 高井は2軍で打ちまくり、本塁打王など数々のタイトルを手にしたが、上からのお呼びはかからない。

 西本が監督に就任してしばらくはチームは低迷しており、西本は選手が監督を信任できるかどうかが重要だと考えた。そこで選手に自分への信任投票をさせた。自分についてくる選手は〇、そうでない選手は×をつける方式だった。多くが〇をつけたが、高井は起用法に不満もあり、投票用紙に大きく×をつけた。

 西本は×印の7票、白紙の4票に大きなショックを受け、辞任騒ぎを起こした。

「あれだけ大きな×印だから、絶対ばれたと思います」(高井)

 西本も72年から高井を1軍で起用するようになった。高井も本塁打を連発した。そこにはきっかけがあった。彼がベンチにいると、スペンサーが相手投手を見てノートに癖を書き込んでいた。癖によって球種の違いがわかるというのである。

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江夏、村田のクセをメモ