■ベンチに座っているだけでいい

 ある日、高井は走塁中に人工芝の切れ目にスパイクを引っかけ、靭帯を切った。これでは試合に出ることはできない。ところが監督の上田利治から電話がかかってきた。歩かなくていいから、ユニホームを着てベンチに堂々と座っていてくれという。高井がベンチにいると、相手チームに、彼がいつ出てくるかという不安を与え続けることになるからだ。

 「あいつがベンチにいると、1点や2点のリードならいつひっくり返されるかわからん。4点以上取らないと安心できない」(当時のロッテ捕手・高橋博士)

 対戦相手のロッテはいつ高井が出てくるかという恐怖におびえ、心理的に自滅した。

 だが世代交代はどの選手にも訪れる。80年には指名打者に河村健一郎が入る。高井は再び代打に戻った。彼に残された目標は代打本塁打記録を更新することだった。

 81年9月3日の西武戦だった。9回裏、2対2の同点だった。高井は若い選手2人に交じって、代打の準備をしていた。こいつら負けるわけにはいかない。最初に指名されたのは高井だ。彼は若手に言った。

「俺が勝負決めるから、お前らは道具そろえて帰る用意しとれ」

 マウンドには左腕の永射保がいた。彼がグラブを高く上げ、下ろした後に動かなければ速球だ。グラブは動かなかった。高井は速球に合わせ鋭く振ると、打球はレフトスタンドに入るサヨナラ本塁打になった。これが最後の代打本塁打になり、2年後(82年)に引退した。

■王と並ぶ本塁打王

 高井は「指名打者より代打がやりがいがあった」と言う。チームの浮沈を左右する場面で、自分の一振りで勝負を決める。そのとき、自分のバットで家族を養っている満足感があった。

「でも精神的にはきつかったですよ。指名打者と違って、三振したらいつ挽回するチャンスが来るかわからん。明日なのか、あさってなのかわからん」

 そんな過酷な仕事でも、球団の査定は低かった。当時はレギュラーを基準にしていたので、打席数の少ない代打は、点数が低くなる。高井の代打での生涯打点は109、ヒットの数は120である。レギュラーの選手なら1年で到達する。彼の仕事の評価はその程度だった。

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代打本塁打27本目のバットの今