じつはこの「食べ物は愛の代用品ではない」というのは、筆者のオリジナルではない。評論家の芹沢俊介が著書「子どもたちの生と死」でジェニーン・ロスという女性の過食克服法を紹介するなかで使っている言葉だ。ただ、これが「沁みた」というのはわかる気がする。昔「淋しい女は太る」という本がベストセラーになったが、過食の背景には、満たされない愛を食べ物で埋めようとするような心理が働いていがちであり、そこをなんとかしない限り、改善は難しいからだ。

 芹沢はこう書いている。

「このやり方がなぜいいかというと、食べ物は食べ物なんだよということなんです。過食症であったときのジェニーン・ロスというのは、食べ物というのは愛の代用品だと考えてきたんです。(略)食べ物に対する執着がなくなったとき何が見えてくるかというと、心の傷が見えてくるといいます」

 過食のウラにある淋しさや怒り、哀しみといった感情を、食べることで解消しようとするのではなく、それを区別して見つめ直し、我慢せずに言葉などで表現しようとすることが必要だというわけだ。この女性は冷蔵庫を自分の好物でいっぱいにしたうえで、空腹になったら食べ、満腹になったらやめるということを繰り返しながら、過食を改善していったという。

 ただし、そんなやり方で本当に大丈夫かと、半信半疑な人も多いだろう。愛についてどうすればいいのかという根本的な問題は残るし、そもそも、食べ物と愛をごっちゃにしてしまうのは、人類共通の感覚でもあるからだ。好きな人たちと一緒の食事はおいしいとか、そこにこそ幸せがあるといった感覚。そこでピンと来た人もいるだろう。じつは年末年始というのは、この感覚の共有が最高潮に達する時期なのだ。

■愛と食べ物がごっちゃになりやすい

 クリスマスに忘年会、正月に新年会、成人式。この流れはいまや、節分の恵方巻きやバレンタインデーの友チョコあたりまで続くともいえる。愛と食べ物がごっちゃになりやすいからこそ、この時期は過食のスイッチが入りがちなのである。

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人類の歴史は飢餓との戦いだった