絶対に笑っちゃいけないシチュエーションだからこそ込み上げてしまう可笑しさ。そういう面白さがあると思う。
だから「奪い愛、夏」はあくまでも愛の物語であり、ホラーなのだ。可笑しいところがたくさんあれど、コメディーじゃない。
お葬式でそれが起きるから可笑しいのであって、コントの中でお坊さんのカツラにハエをとまらせても、その面白さは出せない。
出演者含む撮影スタッフ一同は見慣れない遊具の並ぶ公園に放り出され、
「さあ、どうやって遊ぼうか!」
と、童心に返り一丸となって遊び方を考える。
そんな楽しさが常にある現場だった。
役者側は「こんな芝居でどうでしょう?」
とやって見せ、監督は「こんな演出どうでしょう?」
こんな帽子はどうでしょう? こんな衣装はどうでしょう? こんなアクションはどうでしょう?
各スタッフも最高に遊び心のある提案をみんなで出し合い、カメラさんが「ならばこういうワークで」照明さんが「じゃ、こっちから当てるか」音声さんが「このシーンはワイヤレス無しで対応しよう」と、技術スタッフがサクサクと臨機応変に撮影を進め、ほんとに、チーム戦の楽しさがあったし、常に笑い声の絶えない現場だった。
一番痺れたのは5話。海で大暴れのシーン。
小池君演じる椿と私演じる桜が、波打ち際で掴みあう、長回しの一発ワンカット。
脚本のト書きには
「椿、桜を海に投げ飛ばす」
とある。もう、このト書きのワードがすでに面白い。
「椿、桜を突き飛ばし、桜は海に倒れこむ」
例えばこう書かれているのと、「投げ飛ばす」では受けるイメージが全く違う。この、面白いワードからこちらは発想を膨らませていくのだ。
ずぶ濡れになるから、取り直しはきかない。
リハーサルもできない。
実際に海に入って掴み合いが始まったら、どういう動きになるか、こちらも予測がつかない。
大体の動きの予測だけつけて、いざ本番となった。
ワイヤレスマイクはつけられない。