

盛岡大付と花巻東は、長らく岩手の2強を形成してきた「因縁のライバル」だ。大谷翔平(現エンゼルス)が花巻東に入学すると、盛岡大付の関口清治監督は3年間、選手たちにこう言い続けた。
「大谷を倒さないと甲子園には行けない」
その言葉通りの試合だった。
2012年夏、高校野球岩手大会決勝。花巻東の大谷は追い詰められていた。三回、1死一、二塁の場面。盛岡大付の二橋大地(25)が打席に立った。
「低めは捨てる。高めのストレートを振りぬく!」
2球目はまさに狙い球だった。内角高め148キロの速球を振りぬく。やや詰まったが、手ごたえはあった。
「切れないでくれ!」
レフトポール際、距離は十分だった。あとはファウルゾーンに切れるかどうか。打球の行方を見ながら一塁へ走る。三塁塁審のホームランのジェスチャーが目に入ると、喜びを爆発させた。
この試合、盛岡大付は大谷に本塁打を含む9安打を浴びせ、5対3で勝利した。大谷は試合後、「日本一をとって岩手の方に喜んでもらいたかったが、挑戦できずに終わってしまったのが悔しい」と甲子園まであと一歩での敗退に涙をのんだ。
盛岡大付が大谷を撃破した大きな要因は、守り中心のチーム方針を一転させたことだ。関口監督は最速160キロの打撃マシンを導入するなど打撃中心のメニューに切り替えた。マシンには「大谷君」と書いた紙を貼った。二橋さんらが2年の秋、その花巻東に敗れたことで、選手たちも大谷をより強烈に意識するようになった。
「打撃マシンで160キロの直球と130キロのフォーク、110キロのカーブをランダムに設定して、重さ1キロの木製マスコットバットで打ちこみました」
はじめはバットが折れたり、まともに打球が飛ばなかったが、日を追うごとに外野まで飛ぶようになっていった。二橋さんの3年夏の大会は、プロ野球のオールスターが盛岡で開催された影響もあり、準決勝から決勝まで中6日という異例の日程に。準決勝で当時の高校野球記録となる160キロを計測した大谷に1週間の休養は与えたくなかったが、「速球対策の時間ができてよかった」と二橋さんは振り返る。