女優としての確固たる地位を築いた斉藤由貴
女優としての確固たる地位を築いた斉藤由貴

 不倫報道によって失速する芸能人は多い。ベッキーや矢口真里しかり、小室哲哉にいたっては引退してしまった。特に最近は、バレやすさも使いづらさもどんどん増してきた印象だ。しかし、その例外的存在が――おととしの夏に生涯三度目の不倫騒動に見舞われた斉藤由貴である。

【写真】初々しい!デビュー曲「卒業」が大ヒットした頃の斉藤由貴

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 このときの相手はかかりつけの医師で、ともに妻子ある立場のダブル不倫。最初に「手つなぎデート」が報じられた際、彼女は「家族がみんなお世話になっているおじさん」だと説明した。ところがその後、キス写真や「相手とおぼしき男性が頭にパンティーをかぶった写真」が出てきてしまう。この騒動により、決まっていた翌年の大河ドラマ「西郷どん」を辞退することとなった。

 が、仕事への大きな影響はほかにCMの降板くらいで、映画や舞台には変わらず出演。テレビドラマにもほどなくして復帰した。今年6月にはNHKBSプレミアムの連ドラ「長閑の庭」で存在感を示している。女子大生と大学教授の41歳差の恋愛を描いた作品で、彼女の役柄は大学教授の元妻。才気も色気もある、ちょっと神秘的な雰囲気がいかにもピッタリだった。

 また、昨年のブルーリボン賞授賞式では「いろいろあった」ことを笑いにしてみせたし、バラエティ番組の「1週回って知らない話」ではVTR出演した長女に「普通のお母さんより、私は今の若干スリリングなほうが好きだよ」とフォローされていた。家庭のほうもまずまず安泰のようだ。
 

「彼女はそういう人だ」

 ではなぜ、彼女は例外的存在でいられるのか。ひとことでいえば、それはファンや業界、さらには世間までもが「彼女はそういう人だ」と認めているからだろう。かくいう筆者もそのひとりだ。その理由を過去の取材経験から明らかにするとしよう。

 最初にインタビューしたのは、86年の初頭。彼女はデビュー2年目で、19歳だった。ヴィスコンティの映画が好きという話から、こんな美意識を口にしていたものだ。
 

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宝泉薫

宝泉薫

1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』『宝島30』『テレビブロス』などに執筆する。著書に『平成の死 追悼は生きる糧』『平成「一発屋」見聞録』『文春ムック あのアイドルがなぜヌードに』など

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