柄本の自然な台詞回しで、「ああそういう人もいるだろうな」と見ている側もサラッと説得される。それが素晴らしい。シマちゃん(と金栗が呼ぶ)の側に立って、自分のことのようにうれしくもなった。

 私が柄本に注目したのは2015年の朝ドラ「あさが来た」、ヒロインの姉の夫・惣兵衛役だった。江戸から明治に変わる時代の両替屋の跡取り。母親の言いなりで、全く笑わない人物なのだが、その向こうに何があるのか知りたくなる感じにさせられ、夢中で見た。

 うまい役者なのだと気づいたのは最後も最後、死の場面だった。柄本の長い独白に惣兵衛という人の、たぶん60年ほどの人生が凝縮されていた。当時、柄本は29歳。以来、私の心のメモには、「老け役がうまい俳優は名優」と書いてある。

 それから4年。再び、出合った柄本の名演技。ごくさりげない場面のものだった。

 増野とシマの結婚後、関東大震災が起きる。その後が描かれ、金栗四三編の第一部が終わり第二部に入って、人見絹枝のパリ五輪が描かれる。その7月7日放送回をいろいろな人が「神回」と評していた。だが、柄本の名演技はそれより3話前にあった。

 増野とシマの間に女の子「りく」が生まれる。シマは女学校に復帰し、りくは金栗の下宿先である足袋屋に預かってもらっている。増野が「いつもすみませーん、ありがとうございます」と足袋屋に入ってくる。そこから始まる場面だ。

 増野は茶色でコーディネートされた帽子と背広姿だから、仕事帰りのお迎え当番だとわかる。そこに足袋屋の息子が「父ちゃん、大変だ」と飛び込んでくる。シマと金栗の勤める女学校で「事件」が起きている、と。増野は上がりかまちに座り、膝に乗せたりくをあやしながら、こう話しかける。

「こりゃあ、お母様のお帰りは、遅くなりそうだ。なー、りく」

 この穏やかで短い台詞から、すべてが伝わってきた。増野の育ちの良さや品の良さ、シマの仕事を認めていること、妻と娘への愛情。「人生」が伝わってきた。

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「増野ロス」になった