だれからも愛された、たこ八郎さん (c)朝日新聞社
だれからも愛された、たこ八郎さん (c)朝日新聞社

 コミカルな容貌と愛嬌ある言動でコメディアンや俳優として活躍したたこ八郎さん(享年44)。7月24日は、彼の命日だ。タレントとして人気絶頂だった34年前に海でミステリアスな死を遂げ、葬儀にはタモリや故・赤塚不二夫ら著名人が数多く参列。昭和のバラエティ界を代表する不世出の“全身コメディアン”は、なぜここまで多くの人に愛されたのか? 

【写真】たこ八郎さんと友情を育んだタモリ

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 たこ八郎さんは、1962年に第13代日本フライ級チャンピオンの座を獲得した「天才プロボクサー」として有名だった。ボクシングに詳しいスポーツ雑誌のライターは彼の功績を次のように振り返る。

「たこさんはもともと左目がほとんど見えなかったそうですが、それを申告せず視力検査表を全部暗記してプロテストに合格。試合中も左目が見えないことを悟られないようにノーガードで相手のパンチをもらい続け、相手が打ち疲れた瞬間に反撃するというスタイルでした。この漫画のような戦法は当時から話題で、『あしたのジョー』の主人公、矢吹丈のモデルになったとも言われています。どれだけ打たれても絶対に倒れず、ノーガードでパンチを受け続けながら相手の耳元で『効いてない、効いてない』とささやき続けたといいます。しかし、やはり無理がたたったのでしょう、デビューから4年でパンチドランカーとなり引退に追い込まれました」

■バラエティで無謀な企画に挑戦

 ボクサー引退後、当時、喜劇俳優として人気を博していた故・由利徹に弟子入り。すると、東映ヤクザ映画やポルノ映画に多数出演する人気俳優になる一方、コメディアンとしても大ブレイク。その唯一無二の存在感は昭和時代のお茶の間で大いにウケたという。当時を知るバラエティ番組制作会社の元ディレクターは次のように語る。

「彼のつかみギャグである『たっこでーす!』は自己紹介ギャグの走り。画面に出てくるだけで笑いを取れるという意味では、最強の芸人でした。テリー伊藤さんの発案で『バカなたこ八郎に東大生の血を輸血したら知能指数が上がるのか?』という、今の時代なら間違いなく問題になる企画を二つ返事で受けたそうです。

 また、さすがにこれも今は実現が難しいかもしれませんが、『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』などでお馴染みの企画『金粉マラソン』を最初にやったのもたこさん。金粉を全身に塗って走ると皮膚呼吸できなくなるのですが、たこさんは案の定途中で呼吸困難となり無念のリタイア。どんなひどい目にあっても朴訥としたコメントと素朴な笑顔でリアクションするたこさんは、当時の制作スタッフたちからすると信頼して仕事を頼める存在でしたね。簡単に言うと“おバカの代名詞的存在”でしたが、当時はここまで愛らしくてわかりやすいタレントはいなかったので、昭和のバラエティ界を支えるほどの売れっ子になれたんだと思います」

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藤原三星

藤原三星

ドラマ評論家・芸能ウェブライター。エンタメ業界に潜伏し、独自の人脈で半歩踏み込んだ芸能記事を書き続ける。『NEWSポストセブン』『Business Journal』などでも執筆中。

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