鮮やかに蘇る栄光の日々… ヤクルト追いかけ数十年の番記者が見たOB戦のあるべき姿 (2/4) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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鮮やかに蘇る栄光の日々… ヤクルト追いかけ数十年の番記者が見たOB戦のあるべき姿

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菊田康彦dot.
打席に立ち、バットも振った野村監督 (c)朝日新聞社

打席に立ち、バットも振った野村監督 (c)朝日新聞社

 セレモニーが終わり、まず90’sの先発マウンドに上がったのは、1992年の日本シリーズでは延長戦2試合を含む3完投の熱投を演じた岡林洋一(51歳)。試合前にはそのことに触れて「酷使? いや、酷使されてこその僕ですよ」と話していた岡林は、初回はLEGENDS打線を岩村明憲(40歳)の単打のみに抑えて無失点で切り抜ける。

 個人的に感動したのは、1978年の初優勝&日本一に松岡弘(71歳)と共に大きく貢献した安田猛(72歳)の登板だ。身長173センチという小柄な体格ながら、2度の最優秀防御率に輝いた左腕は、現在はスキルス性胃がんとの闘病中。それでも試合前には「ステージ4にしては元気でしょ?」と笑顔を見せ、試合ではLEGENDS先発の松岡に次ぐ2番手として2球だけとはいえピッチングを見せてくれたことに、大いに勇気を与えられた。

 ほかにもこの試合の見どころは、ここでは書き切れないほど。3回表に八重樫幸雄(68歳)が現役時代を思わせるオープンスタンスで中前打を打つと、満塁の場面で若松監督が代打で登場。山部太(48歳)の高めのボールをレフト前に落とし、ヘッドコーチ兼外野手で出場していた小川淳司現ヤクルト監督(61歳)に「若松さんは(試合前の)バッティング練習もしてないのに、あんなに簡単に打つんだから……」と言わしめた。

 その裏には「(この日のメンバーに選ばれたのは)野村さんがオレのことを拾ってくれたおかげ」と語っていた大野雄次(58歳)が、代打を告げる野村監督のポーズと共に打席に入り、ファウルフライを捕球しなかった捕手・米野智人(37歳)の粋な(?)計らいもあってセンター前にヒット。特別ルールによって5回にも代打でヒットを打ち、巨人を戦力外となった後で1996年には2本の代打逆転満塁本塁打を放った「代打男」の面目躍如となった。

 そして4回裏、この試合のハイライトがやってくる。「代打・オレ」とばかりに自らを親指でグッと指さした野村監督が、古田、真中、そしてヤクルト監督時代のラストゲームで勝利投手になった川崎憲次郎(48歳)に抱えられ、さらに次打者の池山にも付き添われて打席へ。杖のようにしていたバットをパッと立てて構えると、ファンの「ホームラン、ホームラン、ノムラ!」のコールに応えるように2球目をスイング。これが空振りとなり、申告敬遠を告げられて代走と交代したが、スタンドからは拍手と歓声が雨あられと降り注いだ。


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