久保建英、年少デビューの陰にちらつく不安 先人たちも泣かされた思わぬ“落とし穴” (2/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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久保建英、年少デビューの陰にちらつく不安 先人たちも泣かされた思わぬ“落とし穴”

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元川悦子dot.
久保建英の年少デビューを喜んでばかりでは危険だ (c)朝日新聞社

久保建英の年少デビューを喜んでばかりでは危険だ (c)朝日新聞社

 久保より若い17歳322日で98年4月1日の韓国戦で初キャップを飾った市川大祐がその1人だ。「市川がいれば日本の右サイドは10年安泰」とさえ言われた彼も98年にA代表、U-19代表、U-21代表と3つのカテゴリーを掛け持ちし、Jリーグにも出ずっぱりになった結果、翌99年2月にオーバートレーニング症候群に見舞われた。これで99年ワールドユースを棒に振り、指揮を執っていたフィリップ・トルシエ監督から「電車に乗り遅れた」と酷評され、2002年まで代表定着が叶わなかった。日韓ワールドカップは滑り込んだものの、その後も数々のケガが続いてトップフォームを維持できず、代表キャップ数はわずか10試合にとどまった。

 久保に次ぐ3番目の年少出場記録を持つ小野伸二も、ケガに泣かされた選手だ。98年フランスワールドカップに18歳で出場した「100年に一度の逸材」は99年7月の2000年シドニー五輪アジア1次予選・フィリピン戦で左ひざじん帯断裂の重傷を負い、「プレーのイメージが湧かなくなった」と苦しむようになる。その後、移籍したフェイエノールト(オランダ)時代はUEFAカップ制覇などの栄光も手にしたが、代表に関しては2002年日韓ワールドカップが左ウイングバック、2006年ドイツワールドカップはスーパーサブという位置づけで、本職のトップ下で輝くことはできなかった。同じ時代に中田英寿、中村俊輔という能力の高い司令塔がいたこともあり、小野も日本のエースに上り詰めることは叶わなかった。

 そしてもう1人、5番目の年少記録保持者・山田直輝もケガで思い描いたキャリアを歩めなかった選手だ。岡田武史監督時代の2009年5月のチリ戦に18歳327日で出場。終盤には本田圭佑のゴールをアシストし、「攻撃のスイッチを入れられる選手」と高く評価される天才だったが、翌2010年のアジアカップ最終予選・イエメン戦でタックルを受けて右腓骨を骨折。そこからキャリアが暗転する。2012年ロンドン五輪アジア予選でも要所要所で活躍したものの、やはりケガでコンスタントにはピッチに立てなかった。同じ浦和アカデミー出身で1つ年下の原口元気が「直輝がいつも目標だった」と羨望の眼差しで見つめてきた才能を誇っただけに悔やまれた。


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