泉はゴクミだからもちろん美少女だが、それだけでない人物造形に山田監督の「ゴクミ感」が表れている。泉ちゃん、寂しい子なのだ。

 水商売をする母(夏木マリ)と会社員の父(寺尾聡)が別居、泉は母について葛飾から名古屋へ。だが名古屋になじめず、母の故郷の佐賀へ。泉は父を慕って復縁を望むが、父には女の人がいて、それは宮崎美子なのだが、それが明らかになるのは43作なのだが、そんなこんなで泉はよく、「満男さんは幸せだから、そんなことが言えるのよ」と言う。満男は泉が大好きだが、まだ子どもで無神経なことを言ってしまうのだ。

 寅さんも満男の両親(前田吟と倍賞千恵子)も、泉と親しく接することになる。満男も含め、全員が「泉ちゃん」と呼ぶ。泉は先ほど書いたように「満男さん」と呼び、その両親を「おじさん」「おばさん」と呼ぶ。だが、なぜか、寅さんのことだけは「おじちゃま」。登場人物中、唯一の「ちゃま」なのだ。

 何度も書いて恐縮だが、57歳だ。リアルタイムで「男はつらいよ」を観ていた。高校2年の正月2日、寅さんを観に映画館に行ってドアを開けたらすし詰めの満員で、そのままドアを閉めて帰った記憶がある。料金をどうしたかなど、この記憶には疑問点が多いのだが、要は生活の中に「男はつらいよ」があったということだ。

 話を泉に戻すと、そんな寅さんウォッチャーだった私は、どうも「おじちゃま」がなじめなかった。

 山田監督が後藤さんの中に「憂い」を見ていたことはよくわかった。「ゴクミ」が流行語大賞に選ばれるような、華やかな大輪の花(という表現も昭和的だが)の中にひそんだ暗さ。それが「男はつらいよ」のペーソス(渥美さんの体力低下とともに増していった)にぴったり合うこともわかった。

 後藤さんは42作から45作まで4作連続で出演し、泉もおさげ髪から軽いソバージュ(!)になるまで大人になっていった。そして一貫して寅さんを「おじちゃま」と呼んだ。寅さんが立っているところに、「おじちゃまー」と言いながら駆け寄り、抱きつくというシーンが多かった。苦手だった。

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寅さんを「おじちゃま」と呼ぶことの癒やし