若い女子だった当時の気持ちを少し分析すると、「おじちゃま」に「媚び」を感じていたのかもしれない。「最初から話すと長くなるわよ」という泉の台詞に、寅さんが「いいよ、いいよ、長いの好き。おじちゃま、ヒマだから」と返し、そんなやりとりには笑わせられながら、透けて見える「美女に弱い男」という構図がイヤだった。そんな気もする。

 1996年に渥美さんは亡くなり、22年経って「男はつらいよ」復活会見が開かれた。後藤さんは、変わらず美しかった。憂いではなく、強さをたたえていた。

「ジュネーブの自宅に山田監督からお手紙が届きまして」と言い、ニッコリ微笑んだ。そして隣に座る監督の方を向き、一瞬手を伸ばし、すぐに戻した。

 二人の前にはテーブルがあり、後藤さんの手がどう動いたかは映らなかった。だけど、「ねっ、お手紙、下さったでしょ」。そんな感じの手だった。きっと監督の手に一瞬触れたと思う。

 それを見て、思った。「おじちゃま」は、寅さんを癒やす言葉だったんだなあ、と。

 体調が悪化してからも、寅さんを演じ続けた渥美さん。死の影がひたひたと近づいていたのは、渥美さんであり、寅さんでもあった。そんな男に、美少女が走って近づいてくる。「おじちゃまー」と叫んで、胸に飛び込んでくる。いつもの憂いは消え、明るさだけを連れている。それは、癒やしに違いない。

「おじちゃま」と呼ぶ泉ちゃんに寅さんが癒やされたように、二つ返事で駆けつけた後藤さんに、山田監督が癒やされている。

 一瞬の手でそう思い、「おじちゃま、許す」。そう思ったのは、私が年をとったせいだろうか。(矢部万紀子

著者プロフィールを見る
矢部万紀子

矢部万紀子

矢部万紀子(やべまきこ)/1961年三重県生まれ/横浜育ち。コラムニスト。1983年朝日新聞社に入社、宇都宮支局、学芸部を経て「AERA」、経済部、「週刊朝日」に所属。週刊朝日で担当した松本人志著『遺書』『松本』がミリオンセラーに。「AERA」編集長代理、書籍編集部長をつとめ、2011年退社。同年シニア女性誌「いきいき(現「ハルメク」)」編集長に。2017年に(株)ハルメクを退社、フリーに。著書に『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』『美智子さまという奇跡』『雅子さまの笑顔』。

矢部万紀子の記事一覧はこちら