外務省の方とも話をしました。情報収集していた内容なども伺っていますが、報道されている私の近況であるとか、外務省から伺った私の近況は事実と異なっているものがかなりあります。たとえば、トルキスタンの施設にいる時、「平屋の独房にいる間2部屋を使っている」ですとか、「周囲の弊が高くなったので本人は神経質になっている」という情報が入っていたようですが、事実には基づいていません。9月下旬の段階でも外務省に入った情報はかなり錯綜というか、事実に基づかない部分もかなりあったようで、情報収集が困難であったことがうかがえます。これを機にあたかも拘束者とつながっているふりをして話を持ちかける人もたくさんいるので、その中で選ぶのは非常に難しい。本当に拘束している組織にたどり着くのは外務省であっても非常に困難だったのかなという気がしています。それについて私も理解していますので、ずっと努力していただいていたことに対して、不満に思うことはありません。その間家族のケアをしていただいたことについてもありがたく思っています。その旨についても、アンタキヤの施設で外務省の方が身元確認をしたときに、最初の言葉としてそのことを伝えています。そして、持っている限りの情報は提供するとお伝えしています。
――今後も紛争地で取材を続けますか。その理由もお聞かせください。
今現在、今後行くかどうかについてはまったく白紙です。分からないです。
――後藤さんと仕事をしたことがあるガイドが伝手(つて)だったということですが、結果として拘束されています。計画の段階から人質と見られていたと感じるようなことはありませんでしたか。
道案内人が一人で様子を見に行っている間に私は別の方向に入ってしまいました。完全に私の凡ミスと言いますか、自分でも考えられないようなミスです。違う方向に入ってしまった。その時に入ってきた人々が家族を送ってきたのですが、計画的に家族を送ってきたとは考えにくいので、仕組まれていたというのはどうかなと思っています。