小田嶋:構成の妙ですね(笑)。

武田:雑誌の「雑」をどこまで認めるかって、今、どの雑誌も下降気味にある中で、改めて問われていること。「新潮45」がやった技は、その「雑」をどんどん乱暴に、濃厚な味付けをしていけば、とりあえず顧客は確保できるだろうという企(たくら)み。で、結局、「雑」が一色になってしまった。

小田嶋:じゃあ、私も強引にナンシーに戻しますけれど。

武田:戻すというか、まだ始まってないんですけどね(笑)。

小田嶋:そうか、始まってなかった(笑)。

 ナンシーさんがいた時代というのは、ナンシーさんがいたということもあるけど、雑誌にとっても一番幸福な時代でしたよね。雑誌がたくさん売れていたこともあるし、雑誌読者といわれる人たちが、日本のボリューム層、働き盛りの層になっていたわけです。みなそれぞれ、自分の好きな雑誌はこれ、というのがあった。80~90年代にかけては、どんな雑誌を読むか、というのが、その人の人となりを表していましたよね。

武田:自分が読んでいる雑誌を告げれば、それが自己紹介になる、というような。

小田嶋:書き手の側も、それぞれに持ち場を与えられて、読者も、連載コラムの執筆陣の名前を見て雑誌を買ったり、やめたりしていたという時代。書き手にとっても、雑誌にとっても、幸福な時代でしたね。

武田:自分がナンシーさんのコラムに最初に出合ったのは中学生の頃。中学生の時、自転車通学だったんですが、途中にコンビニが2軒あったんです。スリーエフとデイリーヤマザキ。その2軒に寄って、雑誌を片っ端から立ち読みするのが習慣になっていた。

小田嶋:買わない?

武田:買わない、というか、高校生でお金もないから買えません。火曜日には週刊朝日、木曜日には週刊文春を開き、テレビで見かけるアイツやコイツについて、ナンシーさんがどう書くのだろうとチェックしていました。

小田嶋:ナンシー関という人は、個人であるよりも、半ば公的なというのかパブリックな芸能批評機関みたいな存在だったと思うんですね。たとえば、「ナンシー的にダウンタウンってどうなのよ」とか、「最近出てきているアイツについて、ナンシーはなんて言ってるの?」とかを確認しに行く場所というか、一応、押さえとかなければいけない批評機関のようになっていた。

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