武田:そうですね。今件をふまえて、新潮社の書籍を扱わないと宣言した書店が出てきた。その書店を指差して、言論弾圧だなんて言う。しかし実際、どの書店であろうとも、そこに置かれている本は、書店員が選別しているわけです。並べる、並べないは書店の判断です。どの書店も思想的な場所です。彼らが騒ぎ出すと、それくらいの基本的な事項まであやふやになる。

小田嶋:書棚というのは、その書店の顔でもあるわけだから、「自分のところの書棚にこういうものは入れません」というのは、しごく当たり前のことで。

武田:さっきのツイートがそうですけど、鳥瞰(ちょうかん)すること、達観すること、つまり、ヘリコプターに乗って、上からどういう争いになっているかを見渡しにいくのは一番安全なんですよね。

小田嶋:ドローンを持っていて、高いところから「私から見ると、こう見えます」と。

武田:ドローン視点である限り、地上で起きている争いごとには直接的には関わらないで済む。どんなことでも、争うのってしんどいです。その最中に間違いだって起こします。でも、ドローンは安全なんです。

小田嶋:最近の流行りだけれど、こういう問題が起きたとき、必ず出てくるのが「党派性」という言葉。争うのもいい、議論するのも構わないし、差別があればそれを糾弾するのも当然だけれど、でも党派性にとらわれちゃいけない、というまとめが最後につく。

 バトルが行われているところに行って、両方の意見を聞きました、でも、私の目から見ればどっちも……みたいなことにされてしまうと、本当は100対1でこっちのほうが間違っているよという話であっても、両論併記の中では五分五分に見えてしまう。そんな論のつくり方の風潮があるんですよね。

武田:小川氏が、「小川榮太郎『新潮45』への疑問に答える(1)」という50分ほどの動画をアップしています。50分間も説明が必要な6ページのテキストって、その時点で、自分の文章に難があったと表明しているように思えるのですが……(※その後、90分ほどの「小川榮太郎『新潮45』への疑問に答える(2)」もアップ)。

 で、その動画で彼が話していたのは、LGBTの問題に政治が時間を割く必要はない、近隣諸国を見てくれよ、と。中国やロシア、北朝鮮情勢はどうなっている? LGBTの「生きづらさ」なんてものに耳を傾けるのではなく、取り組むべき問題の優先順位を考えようではないか、と続ける。今回の論点とはまったく関係のない国際情勢を持ち出す。でもこれが、ある一定のコミュニティーのなかでは有効なんですよね。

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「そっちこそどうなんだ主義」とは?