「世界選手権から帰った8月、桃田が『疲れを感じる』と漏らしたことがありました。今年はずっと世界を転戦し、世界選手権もフルで戦ったんで、体力的にきついのは当然。アジア大会も団体戦と個人戦に出ましたし、負けたのはそういう部分があったんだと思います。にもかかわらず、インドネシアから戻った翌日にチームの練習に参加した。休んでもよかったのに『シングルスでもダブルスでも、自分にできることは何でもやりますから』と進んで若手の指導役を買って出て、3時間半みっちりプレーしてくれた。その姿を目の当たりにして、人間的成長を感じました」とNTT東日本の須賀隆弘監督がしみじみ語ったように、今の彼には「成長につながることなら何でもやる」という強い意欲が感じられる。

 今大会に挑むにあたっても、アジア大会敗戦時の「動揺しないための日々の積み重ねがまだまだ自分には足りない」という反省を基に、所属チームや日本代表合宿で追い込みをかけ、以前は苦手だった筋力トレーニングにも精を出した。「この会場(武蔵野の森)はシャトルが飛ばないという特徴があるんですけど、上からしっかり決めるショットが何回もあったし、スマッシュのスピードも出せた。ウエートトレーニングの成果が出ているんじゃないかと思います」と本人も自身の進化に手応えをつかんだ様子。彼の一挙手一投足を長く見続けてきたメディアの中には「『努力しない天才』が『努力する天才』に変わった」と言う者もいるほどだ。

 2年前の2016年リオデジャネイロ五輪直前の春に違法カジノ店での賭博行為が発覚し、日本バドミントン協会から出場停止処分を受ける前の桃田は、誰もが認める「ヤンチャな若者」だった。髪を明るい色に染め、ネックレスやブレスレットなど派手なアクセサリーを身に着けることも少なくなかった。また、「バドミントンはもっとお金を稼げればメジャーになれる。僕がプロのパイオニアになって派手な生活をしたい」といった奔放な発言でもたびたび周囲を驚かせていた。端正なルックスも相まって、周囲からもチヤホヤされる傾向は非常に強かったという。

 しかしながら、世間から壮絶なバッシングを浴び、1年1カ月の謹慎期間を経て、競技に戻った後は「支えていただいた方に恩返ししたい」と謙虚な物言いに終始するようになった。報道陣に対しても復帰当初はあまり多くを語らなかったようだが、時間の経過とともに本来の明るさが戻り、笑顔で受け答えする場面が増えてきた。

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「今できることを精いっぱいやっていきたい」