野球の長い歴史の中で、こうした状況でこうやってはいけない、いわば“確率論”でもあるだろう。経験則という言葉がふさわしいかもしれない。それにちょっとばかり合ってないというだけで、見ている側が勝手に「あれはダメだ」と唱えたりする。

 あの「三盗」に驚いた自分の方が、野球のセオリーとやらに、がっちりと捕らわれてしまっているのかもしれない。

 前置きが、少々長くなった。私が記者席で思わず「えっ?」と声を上げたそのシーンを、ピンポイントで取り上げてみたい。

 8月7日、夏の甲子園1回戦。常葉大菊川と益田東(島根)の一戦は、互いに点を取り合うシーソーゲームの展開になった。

 6-7の1点ビハインドで、常葉大菊川は8回裏の攻撃を迎えた。1死から、この日途中出場の8番・海瀬隼兵(3年)が四球で出塁した。続く9番・神谷亮良(3年)は、すかさず初球132キロのスライダーを捕らえると、打球は左中間を破る同点のタイムリー二塁打。勝ち越しのチャンスを迎えた。

 打者は1番・奈良間大己(3年)。静岡大会6試合で、打率8割1分8厘という驚異的な数字をたたき出した。この日も1回、いきなり中越え二塁打を放ち、4回にはバックスクリーンへ2ラン。当たりに当たっているリードオフマンを打席に迎えての得点機。勝ち越しの8点目を取るには絶好の場面で、チームでも最高の打者が出てきたというわけだ。

 この状況を「セオリー」と呼ばれているものに、当てはめてみる。

 勝ち越し機の1死二塁。二塁走者の神谷は、50メートル5秒7の俊足。打者の奈良間は、チーム一の打率。ヒットが出る確率は高い。走者も速い。外野手が前進守備を敷いても、ワンヒットで生還できる可能性は高い。ならば、導き出される答えはシンプルだ。

 二塁走者は、動かない--。

 プロ野球なら、確認の意味で「動くな」のサインすら出る場面だ。走者は勝ち越しのランナーだ。そもそも、三塁への盗塁は「100%、それ以上の確率でないと、やってはいけない」とまで言われる。そんなリスクを冒さなくても、点は入る確率が高いのだ。もしプロ野球で、自分の判断で動いて、三盗を失敗してチャンスを逸したら、その選手は「罰金」に「即2軍落ち」となってもおかしくない。仮に成功しても「あそこは動かなくてもいい場面」と、したり顔の野球評論家や記者たちが取り上げるようなプレーだ。

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「ノーサイン野球」がチームの方針