それが「セオリー」。攻撃の定石とも言える考え方だ。記者席から、私はそう思いながら8回の攻防を見ていた。

 奈良間へのカウント1ボール1ストライクからの3球目。神谷が左へ動いていくのが目に入った。

「えっ?」

 三盗だ。慌てた捕手の送球は三塁を大きくそれて、ファウルゾーンへ……。神谷は悠々と、決勝点のホームを踏んだ。

 あそこで、動く?

 なのに、高橋監督は笑っていた。前述したコメントは、高橋監督が試合後にそのシーンを振り返ったものだ。

 「ノーサイン野球」がチームの方針でもある。08年の夏、甲子園で準優勝を果たした強豪校が見せた、選手たちに全面的に任せるという「自由すぎる高校野球」の真骨頂がここにあった。

「塁に出たら、走ろう」

 それが、選手たちで確認していたスタイルだった。普段の練習でも、1死二、三塁と1死満塁の2つの状況を設定し、シート打撃を行う。マウンドに打撃マシンを置くが、バッティングが主ではない。打者が打つ。それに応じて、いかにして「ヒット1本で還ってくるか」を考えて動くのだ。

 守備のエラーが出れば、スキをついて先の塁を狙う。三盗を決めた神谷は「益田東のピッチャーの、足を上げる時間が長かった」という。だから、3球目に走った。奈良間との間には、サインすらなく「アイコンタクトです」。

 つまり、相手にスキがあれば、先の塁を狙うというのが、常葉大菊川の約束事。その前提を踏まえれば、このプレーも、8回の三盗も、真意が見える。そこであえて“セオリー外”の三盗を決めた神谷に質問してみた。

「100%、それこそ、120%の確信がなければ、行ったらダメな場面だよね?」

「練習試合でも、120%セーフなら、三盗は行けと言われています。あの場面、僕も『120%の自信』で行きました」

 実は「120%」には「絶対と思っても、行ってはいけない」という意味合いが含まれている。しかし、神谷はこちらの意地悪な質問にも、胸を張って答えてくれた。

 まいった……。完敗だ……。

 高校野球は今、酷暑や連投による、選手のコンディションにまつわる問題が、かまびすしく唱えられている。そういった問題を無視して、手放しで高校野球を賞賛するつもりはない。それでも、甲子園を見ていると、忘れかけていた“何か”に、いつも気づかせてもらえる。高校生のみずみずしい感性だったり、リスクを恐れない勇気だったり、普段の生活で大人たちがついつい、避けてしまうようなものだ。

 常葉大菊川の2回戦は、大会10日目(8月14日予定)で、日南学園(宮崎)と対戦する。「ノーサイン野球」という「自由すぎる高校野球」から、また新たな「気づき」が生まれるかもしれない。再び甲子園で見ることができる“セオリーなき野球”が、何とも楽しみだ。(文・喜瀬雅則)

●プロフィール
喜瀬雅則
1967年、神戸生まれの神戸育ち。関西学院大卒。サンケイスポーツ~産経新聞で野球担当22年。その間、阪神、近鉄、オリックス中日ソフトバンク、アマ野球の担当を歴任。産経夕刊の連載「独立リーグの現状」で2011年度ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。2016年1月、独立L高知のユニークな球団戦略を描いた初著書「牛を飼う球団」(小学館)出版。産経新聞社退社後の2017年8月からフリーのスポーツライターとして野球取材をメーンに活動中。