また、今はくっきーに光が当たっている形になっているが、くっきーよりも先に“超天然キャラ”として注目を集めたのが相方のロッシーだった。2010年には千原ジュニアがロッシーにドッキリを仕掛けた模様を撮影した映画「無知との遭遇」も公開されるほどだったが、僕も実際にいろいろな天然エピソードを芸人仲間から耳にした。

●ダーツバーで働いている時、消費税の意味が分からなかったので“何となく”で消費税をとっていた。
●「タケノコだけは食べられないんです…」という話を、若竹煮を食べながらしていた。
●仕事場で浅越ゴエと子どもが食いつくおもちゃの話になり、仕事を終えてから浅越のところに「このおもちゃがそれです」とのメールが。当該のおもちゃで遊ぶ子供の写真が貼付されていたが、さらにメールの文面に「大切な写真やから、返してね」との文字。
●新幹線の車内で販売員さんに「お茶かコーヒーありますか?」と尋ね、販売員さんが「お茶はあります」と言うと「じゃ、いいです」と答えた。

 などエピソードは枚挙にいとまがないが、僕も身をもって体験することがあった。ロッシ―と僕はかつて行きつけの飲み屋さんが一緒で、ちょこちょこ会うたびに話をしたりはしていたが「野性爆弾」が東京進出するかしないか悩んでいる微妙な時にも、そこでロッシ―に会った。

 カウンターに2人で座り、およそ2時間、東京進出のメリット・デメリット、当時の大阪のお笑い事情、「野性爆弾」というコンビの戦力分析など、かなり込み入った真面目な話をしていた。僕も、僭越ながら、記者という立場でできる話を誠心誠意、目いっぱいさせてもらった。

 非常に濃密な時間ではあったが、話をしている間、ロッシーはずっと僕のことを「大西さん」と言っていた。何度も話をし、通常は「中西さん」というのに、この上なく真面目な話をした時だけ名前を間違え続ける。ある意味、絶妙な“間(ま)”の取り方に心が震えもした。

 僕のエピソードは横に置いておいたとしても、これだけのエピソードが多くの芸人から語られるということは、それだけロッシーが愛されているということ。そして、その愛は、ロッシー自身の優しさから芽吹いたもの。以前、人生の恩人について尋ねる僕の連載企画で吉本新喜劇座長の小籔千豊に話を聞いた時、恩人として挙げたのが「シャンプーハット」のこいでとロッシーだった。

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